おっす、オラアル中!OD、鬱の三拍子!おっさん足して四拍子!


おっ…ぼこぉ!

さんっ!!…ぼこぼこぉん!


いえーーーーい!!うつ病!!!


躁鬱かもしれんね。



依存からの脱却について考えてみよう。

みなさんの中にも依存症に苦しんで精神科やら自助グループやらに通っている人もいるのかもしれない。

  


僕はこの1か月近く、依存していた市販薬やお酒をやめている。(まだ一か月だが、目覚ましい進歩だ)

その理由の大部分は「自分で決めた」からだと思う。


なぜなら、既存の依存症プログラムを完全に真逆に進行中だからだ。今のところ、理解した上でまったく参考にしていない。


僕は市販薬と少し残ったままの酒を自室の常に見える位置に置いたままだ。


依存症プログラム(スマープ)では、引き金となる物質や思考を完全に排除することを推奨していた。


だが、僕は思うのだ。

「赤い車をイメージしないでください」みたいなやつは、難しいんじゃなかったか?と

脳は否定系のイメージが難しい、みたいな話をどっかで聞いた。


だったら肯定的に脳をプログラムした方がいいんじゃないか。

「俺は見えててもやりたいと思っても平気だけどね」と。


もちろん激しい欲求が湧き起こるならスマープ理論を使った方がいいのかもしれない。


だが、そうでないなら、薬物にしろ酒にしろ「使うのは俺だ!」という主導権を握るイメージを持つ方がいいのではないか。


物質に振り回される弱い自分をイメージし続けるのは惨めじゃないか?

その惨めさ、弱さを理由に依存物質に手を伸ばし続ける毎日から、勇気を振り絞って立ち上がって、やめようとしたんじゃないのか。


いや、違ってもいい。

私は他人にとやかく言われたからやめなきゃいけないんですとかでもいい。


勇気も意志も必要ない。

「物質を使うのは人類だ」という当たり前の現実をその手にしてほしい。


少しだけ進めるはずだ。


やめられないなら、際限なく使用するのではなく、コントロール可能範囲で楽しむに変えるでもいい。

とにかく物質に振り回されているという現実を少し変えていく、というのはどうだろうか。


減薬減酒をただやるのではなく、その「優位性を取り戻す」ことを第一目標にする。


その先に、こんなものに頼らなくても自分は生きていけたという当たり前の現実が待っているんじゃないだろうか。

 


言われた通りにしてるのにできないなんてな、他人に責任押し付けてるのと変わらんのだ。


どこまで行っても、やめるかどうかは本人の意思次第で、それを他人はサポートはできても、最後の最後は自分でやってくしかない。


依存からの脱却において重要なものは、「自分でそう決める」ことなのだと思うのだ。

正直手法なんかなんだっていいんだと思う。



とはいえ、僕もうつ病の薬がなかったら、日常の些細な絶望に耐えられていたとはとても思えない。


依存物質よりも根本原因に目を向けることが何より大事なのではないか。



みんなはどう考えているんだろう。

どうやってんだろう。


僕はそういう話がしたい。

やめたいんだから、どうやめたかを話し続けて死にたい。

その時しか依存からの卒業って言えないし。