どうも、アル中の敗残者です。どうも。
伊藤計劃3部作の2作目のハーモニーについて考えてみる。
と言っても、書くにあたって読み直したわけでもなく、朧げな記憶からの思考なので、未読の方の参考にはならない。というかしない方がいい。
毎度言うが、僕は「実際に読んで」「自分の感想を持つこと」が読書体験だと思っている。
読んだ後、色々考えて、(いつか)再度読み直す。そういうサイクルの中から新しい価値観に気付く。
これはその過程であり、誰かのためのものではない。
僕のブログは誰かの閲覧を意識はするが、自己の記録にすぎない。
さて、本題だ。
昨日は社会と個人との摩擦や幸福について考えた。
ハーモニーは幸福のディストピアを描いた作品だ。
虐殺器官の感想も書いたことだし、そろそろ書かねばならんかな、と。
伊藤計劃3部作というが、短編もそこそこある上3作目は円城塔が大半を書いているので、僕の中ではなかなかその立場を上手く言葉にはできない。
ただ一つ言えるのは、僕は伊藤計劃の作品の中でハーモニーが一番好きだということだ。
虐殺器官と同じく、個人的には結末に疑問がある。
なので、その楽しみ方の邪魔は今回しないことにする。
今回のテーマは幸福についてだ。
作中の設定、所謂世界観の土台が「健康と監視」なのだ。
明言はされていないが、おそらく虐殺器官の延長の歴史と考えていいだろう。
戦争に懲り懲りになった社会は、体内デバイスによって肉体と精神の健康を常時監視することにした。
健全な精神は肉体に宿るから。
その肉体を監視すれば、管理すれば、人類は健全に生きていける。
概ねそれは成功してしまった。
僕の思う現実は「社会の要求がその社会を形成している個人の幸福とは乖離している」という感じなのだけど、ハーモニーの世界だと概ねそれらは一致している。
誰もが幸福に生きたい。
幸福に生きるとは、健康で健全に生きること。
社会が個人に最適な正解を提示してくれる。
社会に合わせようとしなくても、社会が個人に寄り添い導いてくれる。
(実際社会福祉の支援を受けようとしている僕にとって、そんな社会はユートピアだ)
だが、そんな世界でも幸福にはなれなかった人がいる。
実際ユートピアか?というと、ディストピアだよね。
その社会に生きる主人公たちが作中でその点について饒舌に語ってくれるので、楽しみにしてほしい。
まぁ論ずる以上、そこにも触れざるを得ないのだが、できるだけ僕個人の主張に留める努力をする。
社会が個人に寄り添う、という気持ち悪さ。
個人に寄り添うには、個人を知らなくてはならない。
保健福祉センターに相談するにしろ、カウンセリングを受けるにしろ直面する問題として、現状の問題はなぜ起きているのかを伝える努力が必要だった。
精神的に健全になろうとするには、過去に向き合わねばならない。
過去という苦痛から逃げたいから依存しているのに、向き合わねばならない。
すっげぇ辛い。
まずさぁ!その点が治療に足が向かない理由なんだよ。
まぁそれは置いておくとして、ハーモニーの世界だとそのトラウマを味わったタイミングで「はい!カウンセリングを推奨ぉ!あれ?ご飯食べてないね!必要な栄養はこちらぁ!」ってされる。
優しさとお節介をどう区別する?
社会が個人の幸福を無視する社会も、社会が個人の幸せを考える社会も、結局上手くいかないんじゃないの?
うーん。そんな気がする。
AIが発展してきてる現在、辛いことがあるとAIに愚痴ってる人も多いのかもしれない。
実際、ハーモニーの社会が到来した時、大多数は受け入れるのかもしれない。
社会のレールを踏み外す前に誰かに止めてほしかったとか、そう思う人の方が多いのかもしれない。
健全に生きてそうな人たちの方が、正しい生き方について考えているんじゃないかなと思う。
ぽろっと愚痴吐いたら「いや、こう考えた方が〜」みたいなこと言われたり。
実際彼らは僕と同じ状況に陥った時のシミュレーションを何度も繰り返していたんじゃないか。
試行錯誤の先に最適解を最速で導き出す能力を開花させたんだろう。
そういう器用な人、技術を上手く使いこなす人にとって、システムや社会が全てを提示してくれるという未来はより生きやすい世界なんじゃないか。
ただ僕は違う。
違うだろうなと思う。
そう、社会は大多数にしか寄り添えない。
社会が適応したとしてもイレギュラーは必ず発生するだろう。
PSYCHO-PASSの免罪体質とか。
人類は社会を基準にしているうちは、幸福にはなれない人間を生み出し続けるしかないのかもしれない。
だが安心してほしい!
ハーモニーの世界では「人類は幸福になる」のだ!
もう一度幸福について考えてみよう。
社会的幸福ではなく、それぞれの幸福について。
社会を切り離して考えてみないか。
ナナフシのオスの幸せってなんだろう。
僕の幸福ってなんだろう。
そう考えている僕は、死にたくはない。
憂鬱だけど、死にたくはない。
幸福に自殺はできないだろうから。
憂鬱だけど、幸福を諦めずにいられるだろうから。