昔ってのはいい加減なとこがありまして、うちの爺さんなんかは弟が生まれた時についでに戸籍の登録だかなんだかをしてもらったそうで、その時分にはもう読み書きだってできていたそうで。


もっと時代を遡っていきますと、名前を付けられるのも遅かったこともあるそうで。



さて、昔昔あるところに、母と暮らす一人の少年がおりました。父は大変な博打うちだったそうで、ある時大金を手にして女を作って出て行ったとか。


母は女手一つで子を育て、仕事をしては悲嘆に暮れ、悲嘆に暮れては仕事をしてで、息子に名前を付けるのを忘れておりました。


ある日の夜更け、母が仕事を終えてフラフラと家路を歩んでおりますと、細い路地の奥から編笠を深く被った怪しい易者に呼び止められます。

 

手招きがまるで糸を引くように、彼女はどんどんと招き寄せられ、ついには椅子に座ってしまいました。


「おまえさん、まだ子に名前をつけてないんだってね…」

「どうしてそれを…」

「いや、なになに。そんな気がしてね…」

「あぁ、お待ちください!というのも、私どもは食うにも困っておりまして、お代が…。」

「お代は結構…おまえさん、あの長屋のとこの人だろう…あすこの旦那には遠からぬ縁がありましてなァ…」


というわけで、お代はいらないから名前を付けてやろうと言うのです。

男はぽんぽんと名前の候補をあげていきます。


「はぁ…しかしどれもいいような、悪いような…」 

「だったらねェ…全部だ。全部、付けちまえ…」

「全部…ですか…?」

「ほれ、全部繋いで呼んでごらん…」


「寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子ぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助…」


「あれ…どうしてだか随分口馴染みの良いような…」

「そうだろうそうだろう、ぜぇんぶ、ありがたい言葉だからねェ…」 


母は読み書きだってできやしないのに、家路についても、一寝入りしても、易者の付けたその名前を忘れることはありませんでした。

そうして、その子は寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子ぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助となりました。


何故だかその名前は誰もが簡単に覚えてしまえるし、どこか一つを切り取って呼ぼうなどとは誰にも思えませんでした。


友達と喧嘩をしてタンコブを作っても、皆がその名前を呼んで慌てているうちに引っ込んでしまったりして、貧乏で大変な思いも沢山しましたが笑いの絶えない幸せな日々を過ごしておりました。



それからしばらくが経ったある日のことです。


寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る所に住む所、薮ら柑子ぶら柑子、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助が一人で遊んでいると、古井戸の方から声が聞こえてきました。


「おぉ〜い…おぉ〜ぃ…」

「誰かいるのかい?」

「あァ…いるよォ〜…」


その井戸の中を見ると、編笠を被った怪しい男が中におります。


「ほれ…見てみな…よぉく見てみるんだ…」


男は足元を指差しております。

何故だか、男は水面の上に立っておりました。

その足元の水面には、なんだかぼや…っと灯りのようなものが見えました。


「あれはなァ…おまえの親父だよ…」

「お父…?」


「おまえの親父はなァ…おれとの大事な…それはもう大事な約束を破っちまったんだァ…。

それでなァ…今、命の蝋燭をなんとかつけなおそうと躍起してんだァ…」


目を凝らすと、今にも消えそうな蝋燭に新しい蝋燭をかざしている男がはっきりと見えました。

額には脂汗が浮かび、顔面は蒼白です。

ですが、確かにそれは自分のお父さんだと分かりました。


「お父…っ!」


「あぁ、いけないねェ…そんなに身を乗り出しちゃ…」



「そんなに身を乗り出したら…

天地が逆さま、ひっくり返ってよォ…   


…おまえの頭に、俺が来ちまうだろ…?」



どぼーん…



遠くから、近所の友達や母親が、自分の名前を呼んでいるのが聞こえました。


どんどん身体が水に沈んでいくなか、水底に映る父親の命の蝋燭は、ふつ、と消えてしまいました。



水面には相変わらず、編笠の男が少年をじっと見おろしています。


「死神が頭に立ってたら、そらァ…もう手遅れなんだぜ…」


🙇