【注意】
①伊藤計劃の著書、虐殺器官についてのネタバレを含みます。映画もありますが、小説を読んでいる人を前提にしています。
②個人的な感想・見解であり、作品の内容を逸脱・曲解をしている点も多いかもしれません。
【はじめに】
前回の僕はプロジェクトヘイルメアリーの感想(孤独について)を書いたが、それは本文の中に記載されているものではない。本文の状況を分析し、推測し、仮定することで、表出するテーマとは別のものを見出したものだ。高尚なことをしているように語ったが、端的に言えば『深読み』だ。
「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」と千代ちゃんが言ってくるやつだ。(分からない人は台詞を検索してほしい)
深読みを真に受けることは危険なことであると私は思う。それはネットに蔓延る都市伝説を信じることに似ている。
例えば、「地球平面説信者の語る陰謀」を私は面白く楽しむことができるが、同調して盲信するとアルテミス計画の進行を楽しむことはできなくなってしまうだろう。
同じように、深読みを盲信してはならないのだ。それは事実か分からない。
「書かれていることを書かれているままに楽しむ」ことと、「深読みをすることで別の見方も持てる」ということが両立できない場合は、この先を読むことを今すぐにやめてほしい。あなたはあなたの感想を大事にすべきだからだ。
【本題】
深読みをすることで猛烈な衝撃を受けたのが、虐殺器官である。
まずは簡単に本文の流れと、重要設定の虐殺文法について振り返ろう。
本書は【情報管理によって平和な国】と、【内戦の起こる国】とに分断されている世界が舞台だ。
内戦の起こる国には必ずジョン・ポールの影がある。
彼は言葉をトリガーに人間の脳の無意識を刺激し、内戦へと人々を駆り立てている。
アメリカ暗殺部隊所属のクラヴィスはジョンを暗殺するために、ジョンの元教え子であるルツィアに接触、恋に落ちる。
クラヴィスは、ジョンが後進国で内戦を起こすことで後進国がアメリカへと矛先を向けないようにしていたと知る。
アメリカによってジョンとルツィアが殺害されるのを目撃したクラヴィスはジョンの「虐殺文法」を用い、公の場で事件の全容を語る。
アメリカ以外の世界は平和になったかな、とジョンは銃声の音を聞きながらピザを頬張る。
紆余曲折を省いたが、本文で描かれる内容は大体こうだ。
例えば(事実はどうあれ)「食料が底をつきそうだ」と知れば誰かから奪おうとする人間が現れ、次第に本当に食料が不足し、食料が欲しくば誰かを殺さなくてはならない状況が生まれる。そうして人々が殺し合っている間は、その国はアメリカと戦おうにも戦えなくなる。
始まりは言葉だ。言葉には人を殺す力がある。
「若きウェルテルの悩み」を読んで自殺する人が多いというのは、それが優れた言葉によって形成されているからだ。事実、今なお禁書指定している国だってある。しかしその内容をギャルに翻訳させたなら、ギャルしか死なないのかもしれない。
「もぅマヂ無理… ちょぉ大好きだったのに…℧°ぇん。どぉせゥチゎ遊ばれてたってコト、ぃま手首灼ぃた。身が焦げ、燻ってぃる。 一死以て大悪を誅す。それこそが護廷十三隊の意気と知れ。破道の九十六『一刀火葬』」とか書かれていたなら誰も死なないかもしれない。
演説で有名なヒトラーは大量虐殺を引き起こした。彼の演説が下手くそだったら、誰も彼を支持せずに大量虐殺は起きなかったのかもしれない。
「何を言うかではなく、誰が言うか」というのは、注視されるのが間や抑揚でしかなく、訓練すれば誰でも人を惹きつける喋り方ができる…。
虐殺の文法とはその延長にあるものなのだろう。
我々がヒトラーの演説を聞いても「ユダヤ人はやっぱ殺さなきゃだよな」なんて思わないように、逆を言えば聖書がいつまでも信仰されているように、その範囲や期間の調整さえ可能だ。
食料不足という嘘が人を虐殺に導くように(本来食料が不足しても人を殺す必要はない。盗むなり、差し出すまで痛めつける程度でもいいのだから)虐殺という結果に全く関係ない言葉を使用しても虐殺を引き起こすことができる。
「もう!バカ!死んじゃえ!!」という言葉は「やりすぎて怒らせちゃったな」となるが「もう…♡ばかっ、死んじゃえっ♡」となると途端に「この子俺のこと絶対好きじゃん…」となる。同じ言葉なのに、受け取り方が違うのは脳の理解というプロセスだ。胃や腸や心臓がそれぞれ与えられた役割を全うするように作られたように、脳という細胞も言語を覚える遥か前からそういったニュアンスの違いで全く別の受け取り方をするように仕組まれている。
といった風にこの虐殺文法について思案するのも非常に面白いのだが、私の深読みポイントは別の点だった。
「クラヴィスは虐殺文法の影響をすでに受けていたのではないか」という点だ。
本文ままの流れを受け入れるならば、クラヴィスは自分は聞かされていない作戦において「ジョン、ルツィアの2名」が標的とされていたことに憤り、ルツィアへの贖罪やアメリカへの報復として虐殺文法を仕込んだと読み解ける。だが、上記の深読みをすると全く違う結論を導き出すことができる。
まずは深読みの根拠を説明しよう。
クラヴィスはそもそも、死に取り憑かれた人物だ。
母親の生命維持装置の停止を決断し、戦友は自殺し、死者の葬列という幻を見る。軍人として躊躇なく子どもをも殺せる調整を受けている。カウンセリング、言葉によって。
そして「言葉に対してのフェティッシュ」があると言われている。
ジョンは言った。「そのことばを享受するきみたち自身にはそれが見えない。言語学者でもなければ」
言葉に対して、死に対して、無意識下のセンサーが人一倍に働いている彼は、誰も気付かない虐殺文法の影響を如実に受けていておかしくないのではないか。
そもそも虐殺文法はすぐさま万人に効力を発揮するものではない。新聞やテレビに徐々に増えていった結果、爆発的に起こるものだ。ジョンはそれを意図的に利用することで虐殺を引き起こしているが、本来の因果は逆なのだ。
少量の、虐殺を引き起こさない程度の虐殺文法は日常的にありふれている。意図して使える人間は少ないのだから、意図に反して虐殺文法は利用されているはずだ。
では、クラヴィスの受けた虐殺文法の影響について考えてみよう。
アメリカに対し虐殺文法を使用したのは?
軍人になって心を殺し子どもたちをも殺していることは?
「死者の葬列」を見る原因は?
母親の生命維持装置を停止したのは?
私の想定ではクラヴィスはジョンに出会うはるか以前から虐殺文法の影響を受けていたのだと考えている。彼の現在の人格を形成しているほぼ全ての要素に、虐殺文法が絡みついていたのではないか。
そう考えると、最後の結末は身近に虐殺を引き起こそうとする無意識下の動きが顕在意識に理由付けをさせただけ、とも言えるのではないか。
現実に目を向けてみよう。
日本の自殺率はG7の中でもトップクラスを独走し続けている。「死にたい」という言葉は我々にとってあまりに身近な言葉だ。
病気だから、お金がないから、学校が辛いから、仕事がしんどいから、孤独だから、何もないから…死にたい。
僕も死にたいと言い続けてきたし、今でもそう思うことは多い。
だが、最近は少しだけこう思う頻度が増えてきた。
「俺じゃなくてアイツらの方が死んだ方が良くねぇか!!?」
「全部世の中のせい!世の中が全部悪い!!」
精神的な苦痛は少しも変わっちゃいないのだけど、言語一つで生きる意思は変わるのかもしれないと、最近は思うことがあるのだ。
少なくとも、激しい怒りの最中にいる時は「死にたい」と思うことはない。
死にたいと思うのは精神的な苦痛ばかりが理由ではなく、そう思うべきだという虐殺文法のようなものが染み付いているからではないか?と。
苦しいから死にたいというのは、当たり前のことではない。苦しいから殺したい人もいれば、苦しいから酒を飲む人もいれば、苦しいから引きこもる人もいれば、苦しいから表現者になる人もいる。
僕は苦しいから苦しんでいる。最悪何もしなくてもいいのだ。
考えてみてほしい。本当に死にたいなら、何故死にたい時は必ず辛いんだ?何もなくったって死にたくなるのに。死のうとすればするほど泣きたくなるのは何故なんだ?
本当は生きたい。「幸せに生きたい」はずじゃないか。
最後に、僕の深読みが作品から逸脱していて全くの見当違いだったとしても、少なくとも言葉には潜在的な力があるという一点にだけはあなたが賛同できるのならば、これからは自他の言葉により一層の注意を向けてほしい。
本当は何を言いたいのか。それは必ず影響を与えるだろうから。
それではまた。愛してるぜべいべー。あでゅー⭐︎