死亡宣告を受けた主人を後に
待合室へ戻る私達。
一般の待合室で、
私の両親と一緒に来ていた妹、
義父
義父に連れられた子供たちに会いました。
私は子供達に
パパが亡くなった事を伝えます。
長女・次女は分かる歳。
2人とも大号泣。
長男(3番目)は分かっているのかいないのか……
4女は当然分からず
ただ姉らが泣いているので只事では無い
とオロオロ。
取り敢えず、まだ色々手続きがあるからと
両親が気を利かせてくれ
全員を引き取って家へ連れ帰ってくれました。
一方、義母は私と先生の話を聞く事に。
先生曰く、到着した時は
まだそこまで酷くなく、意識はあった。
ただ、検査の途中で1度吐き
そこから急激に悪くなって心臓が止まった。
上がってきた検査の結果では
脳に炎症が起きているのは間違いない。
それから白血球数が著しく低い。
CRPが30もある。
(隣で義母がえっ……て言うのが聞こえました。
後から調べると0.3以下が通常値なんだそう。)
ただこれでは、
これと言った病名が言えないし
病院としても
義母の事を考えても
病理解剖をしてはどうかと。
義母がすぐに返答し、
それではこちらで暫くお待ちください
と隣の部屋に案内されました。
そこには
裸にされ、肩まで緑の布1枚掛けられた主人が。
傍に行きそっとまた手を握りました。
まだ暖かい手。
けれど、必ず握り返してくれたその手は
もうピクリとも動いてくれません。
何がどうなってるんだろうか……
私の頭はこんな時でも全く動いてくれません。
夢の中の様でした。
また暫くして
「準備が整いました。」と
顔に白い布を掛けられ
主人は連れていかれました。
また私達は救急救命室専用の待合室へ。
そこに
義母の妹さんのカナさんと
弟さんのヒロシさんが来ました。
何度か年始に顔合わせる程度。
しかし、双方とても優しくフレンドリーで
一人っ子の主人にとって兄・姉の様な間柄
忙しいなか駆けつけて下さいました。
2人が来た事を見届けて
義母は義父と
私の家の方で主人を迎える準備を
する為に
家に戻る事に。
カナさんは思考の停止している私に
職場、学校、幼稚園、その他
必要な場所に連絡するのを勝手出て下さり
私は言われるがままに
連絡先を伝えました。
まだ頭が混乱しています。
どうして。
何がどうなったのか。
「はぁ〜(ため息)、
検査面倒臭いわぁ」
なんて言いながら
さっき私たちが居たドアから
出てくるんじゃないか。
足元が覚束無いような
まるで夢の中に居るような
そんな気分のまま
ひたすらに主人の帰りを待ち続けました。
どれ位経ったのでしょうか。
ようやく、
病理解剖が終わりました。
と声を掛けられ
そのまま案内された
霊安室。
私に続いて入った
2人は
当然の事ながら絶句。
当然ですよね。
1週間前に会って
お酒飲みながら話してましたもんね。
なんの約束もなくても
また会えるって
そう思いますもんね。
それが突然、断ち切られた。
そして、これが亡くなってから
初対面。
その威力は察しても余りあります。
その後、私達は代わる代わる
何処かへ連絡する為や用事のため、
外へ出ました。
当然、誰か1人が残る事もあります。
そうなると必ず嗚咽が聞こえて、
お互い配慮し
不思議な連携プレーを
取っていました。
最後に1人になったのは私。
1月なのに
冷房をガンガンに掛けられ
肌寒い上に
ウィーンと言う機械音と
薄暗い部屋。
生身の人間には辛いこの部屋で
裸のまま、顔まで白い布を
すっぽり被せられた主人。
あぁ、現実なのか。
とゆっくり手を握りました。
芯まで冷えて
少し固くなった手。
主人は体温が36度台後半の温かい人で
私は体温が35度台の冷え性持ち。
なので、夏は私が保冷剤代わり
冬は主人がホッカイロ代わりになって
良くくっついて寝てたんです。
なのに。
さっきまであんなに温かかったのに。
そう思うと、
どうしてもどうしても
溢れて溢れて。
人前で泣くのは苦手なんです。
「泣くのはみっともない事だ」
と教えられて来たから。
だけど。
我慢出来なかった。
そしてやっぱり
どうして?
しか言えなかった。