今日も感じることをツラツラと記します。
ブログを覗いてくださってありがとうございます
白築純ちゃんが、空に還ってから6月で2年となります。
彼女と出会ったのは、私がクリニックに勤務していた時の事でした。
彼女
『高齢出産だけど、このクリニックでも産めますか? 私、ウミガメの様に産みたいんです。』
私
『よほどのことがなければ、ここで産めると思いますよ。みんな動物ですから』
こんなやりとりでお付き合いが始まりました。
食や暮らしに気を付け、プロのシンガーなので、呼吸はしっかりとできていて、ヨガなどもやりつつ、出産への心身作りは十分でした。
自分が寄りかかるクッションにも ”大岩” とかあだ名をつけ、「大岩、共に出産を頑張ろう!」「初めの子の出産のときは、もう生まれるって時、急に道ができた」なんて言ってたのも思い出します。
それからひと時を経て、彼女がステージ4の直腸ガンで闘病していることを知りました。 田舎の土地にも人にもどんどん自分から飛び込んでいって、明るく愛を振りまく彼女でしたから、仕事も増えて順風満帆に言っているものと思っていました。
彼女を簡単に空に還すわけにはいかない! と勝手に思い、須恵孝子先生にどうしても純ちゃんを合わせたくて、設定をしました。
須江孝子先生は、40歳代で乳がん、50歳代で直腸がんで余命宣告半年と言われたような2度の癌を克服なさった後、奇跡的に治癒し、50歳過ぎから全国の自宅出産に奔走なさっています。
純ちゃんも必ず蘇れると、私も必死でした。
だけら、須恵先生に会って、パワーと先生の命への向き合い方を聞いてもらいたかった。
この時、純ちゃんは骨転移もあり、麻薬も効かないほどの痛みに耐えていました。
けどステージに立った純ちゃんは、凛として須恵先生との対談をこなし、痩せ細った体のどこから声が出出るんだろう!と、本当に驚くほどのまさに、魂からの歌声を命の限り奏でてくれました。又、この時の様子も以前のブログに記しています
彼女が地球にとどまることは叶いませんでした。
でもきっとこれが彼女の生き様だったんだと思います。常に自分のことより人のこと。
口癖は、人にしてもらったらその2倍、3倍にして返すというのが父から教わった事だといっていました。
彼女はそこにありったけの愛を乗せていつも提供していました。
生まれるは生と死の背中合わせ。
そうして生まれ落ちたこの地球で、精一杯の愛を持って自分を生きることを伝えてくれたと思います。
須恵先生に対面をお願いした時、ちょうど、ドキュメンタリー映画撮影中で、一緒に来てくださった吉島さん、純ちゃんをこの映画に残してくださってありがとうございました✨✨✨
https://youtu.be/0e9Tc-PG5X0https://youtu.be/0e9Tc-PG5X0
(音量が小さかったため3/11に投稿した動画からこちらに切り替えました。You Tubeアドレスのみシェアなどして頂きました方はこちらのアドレスでよろしくお願いいたします。)
お読みくださりありがとうございました。
映画は、近日公開です。お近くでどうぞご覧ください✨✨✨