私もとうとう46歳になり、90歳まで生きる自信は
わかないので、人生も半ばを迎えたかな?
と感じる年になりました。
ちょっと早いかもしれませんが、
とりあえず折り返し地点ということで、
今までの人生を振り返ってみたいと思いました。
1965年(S40)に、北海道札幌市に生まれ、
小中高と山形県で過ごしました。
山形東高に入学した当初は、
天文学者になるのが夢でしたが、
それで食っていくためには東大に行かなければならない
ことを知り(嘘かも知れないけど)、あっさり断念。
その後、部活(物理部)で知り合った友人から
影響を受け、「将来はコンピューターが一家に一台
レベルで普及する時代が来る!」と確信し、
システムエンジニアへの道を目指すことになりました。
SEになりたいと思うと同時に、
大学の目標を東北大学工学部電気及び通信工学科に
定め、他の学科へ妥協するのが嫌だったので、
第一希望しか記入せずに受験したところ、
見事に不合格(T-T)。
一年間、仙台の文理予備校に通うことになりました。
苦労した甲斐あって、次の年には、念願の東北大の
工学部電気及び通信工学科に合格しました。
大学時代は、時代にそぐわないPascal演習などは
適当に受講して単位だけはとり、
将来仕事で使えると思われるC言語や、
オブジェクト指向言語について独学しました。
実際、会社に入ってから役に立った知識は、
独学で学んだことが8割を占めていました。
家が裕福ではなかったので、
大学院に行くつもりは全くなかったのですが、
両親の「どうしても行きたいなら仕送りを続けてあげるよ」
というありがたいお言葉に甘え、同大学の大学院
(通信工学科)に進学しました。
大学院卒業の年に、
「仕事ではなく、観光としてアメリカという国に
行って見たい」という思いから、
弟にお金を借りて語学研修という名目で渡米しました。
そのときお世話になった家族がモルモンだった影響で、
日本に帰ってすぐにモルモンに改宗しました。
しかし今思えば、このアメリカ旅行は、
私が躁病を発症したことが原因でした。
モルモンに改宗した後、今度は鬱病になり、
学校にも行かず寝たきりの生活を送っていました。
大学から連絡を受けた両親が、
私のアパートまで来てくれて、抱えられるようにして
東北大学病院の精神科に運び込まれ、
「躁うつ病」と診断されました。
1年間自宅療養し、なんとか修士論文も書くことが
できたので、1年遅れで大学院を卒業し、
修士の肩書を取得して無事卒業できました。
最初は、東京の会社(富士ゼロックス)に就職する
予定でしたが、両親の「長男なんだから親の近くに
就職して欲しい」という言葉を受け、
仙台の「松下通信仙台研究所」に入社。
主に、携帯電話の開発に従事しました。
松下時代に社会人として学んだことは多かったですが、
技術的なものよりも、故・松下幸之助さんの精神論的な
ものの影響を大きく受けました。
このとき学んだ精神論は今も私の中に行き続けていると
思います。
さて36歳になったとき、会社でフィンランドの出張メンバー
を選抜するためにTOEICを受けたのですが、
大卒と高専生が大半を占めていた会社だったので、
私は上位に入ってしまい、2歳の息子を仙台に残して
二年間フィンランドに行かなければならない
状況になりました。
そんなこんなでTOEICの成績がよかった喜びと、
家族と離ればなれになるかもしれない不安を
抱えていたら、またまた精神状態が不安定になり、
躁状態と鬱状態を繰り返す状態になってしまいました。
ちょうどその時、モルモン教会の東京管理本部の
SEの求人を見つけたこともあり、
もし合格したら松下をやめて転職するという案について
妻に相談したところ、
「パパがそうしたいなら、ついて行くよ」
と快諾してくれました。
そして試験と面接を受けたところ、無事採用され、
10年間勤めた松下を円満退社して、
上京することになりました。
管理本部での仕事は、
携帯電話の開発とは全く違う仕事で、
ネットワークサーバのメインテナンスやら、
外人奉仕宣教師へのパソコンの使い方のレッスン、
ビル内の電話の総入れ替えなど、幅広い仕事を
SEという肩書きでやりました。
SEというより、公務員的な仕事が多かったです。
しかし、伝道経験のない私にとって、
社員のほとんどが帰還宣教師という管理本部は、
伝道に出るとどんなことを学べるのかという情報を
得るには、最高の職場でした。
この教会に入るきっかけが躁鬱病だったように、
きっと神様は、管理本部に私を務めさせるために
私を「躁鬱病」にしたのだから、もう今後は再発は
しないと信じていたのですが、管理本部に入って3年目、
また躁状態がやってきました。
いつものように、躁状態の後には鬱状態があり、
今度のはいつもより症状がひどかったため、
とうとう人生初の、精神科病棟への入院を
経験してしまいました。
躁鬱だった期間の半年近く、
まともに仕事ができないような状態だったので、
たった4人しかいない情報システム課には、
多大なる迷惑をかけてしまいました。
1ヶ月ほどで退院し、管理本部に復帰したのですが、
当然ながら元通りに戻ることはかなり困難なようでした。
半年間仕事をしていなかったため、
査定はすべて最低ランク、
当然給料は激減することは目に見えてました。
それどころか、また病気が再発する可能性があると
すると、情報システム課に籍を置き続けることは難しい
と言われました。
管理本部内の清掃を担当するクリーナーさんなら、
もしかしたら雇ってあげられるかもしれないが、
そこもポストが空いているわけではないから、
保障はできないと言われてしまいました。
どうするべきか真剣に悩み、
「神様は私に管理本部で教会で奉仕をするために、
私を発病させたわけではないかもしれない・・・」と
妻に相談しました。
妻は、残念ながら管理本部に入れば再発はしないかも
しれないという望みはたたれたのだから、
なにも管理本部にしがみつくことはない。
それよりもなによりも、一緒に働いてきた仲間である
パパに対して、『掃除婦なら雇ってやってもいいけど』
なんていう人の下で働いてはいけない。
さったとやめた方がいい」
とアドバイスしてくれました。
私も、自分の悪口を言っている人には全く怒りが
わかなくても、妻の悪口を言っている人に対しては
殺意までわきかけるのですが、これは妻も同じようで、
私以上に私の上司に対して怒りをあらわにしてました(笑)。
私自身は、べつにクリーナーの仕事に抵抗は
なかったので、どうしても管理本部に残るべきなら
それでもいいかなと思っていたのですが、
大学時代の講義で「国立大学に通うということは、
日本国民の税金で勉強させてもらっていることを
忘れてはいけない。誰よりも優れた能力を磨き、
日本のために貢献できる人にならなければ、
税金を払ってくれている国民に申し訳が立たない」
と言われたのを思い出し、
自分は自分が身に着けたコンピュータの知識を
活かさなければならないという初心を思い出し、
管理本部をやめる決意をしました。
ということで、転職することにし、
求人情報を検索したところ、
現在働いている「フォレックス株式会社」という会社を
見つけました。
面接したところ、この会社の社長および専務から
とっても気に入っていただき、
入社と同時に月給45万(試用期間なし)という条件、
かつその後は実力しだいでいくらでも昇給してあげる
というありがたいお言葉を受け、即就職を決意しました。
これによって、生涯で2回目の円満退社を経験することになりました。
最初は、新人を研修するための教師として採用された
のですが、自分のプログラミング技術を見せるために、
簡単なアプリケーションを作って見せたところ、
開発の仕事を依頼されました。
ここぞとばかりに短期間で高性能のアプリケーションを
開発する腕を披露したところ、
直属の上司より大絶賛を受け、会社の基幹業務に、
私の作ったアプリケーションを採用していただきました。
さらに、会社のホームページ(
http://www.forex.co.jp
)に、
私の開発したアプリケーションを紹介してもらえました。
今の会社は、社員200名ほどの中小企業ですが、
大企業では味わえなかった「仕事のやりがい」を
感じています。
不本意ながらも、発病がきっかけで2度も転職すること
になってしまいましたが、
私が苦境にあった時、いつも私の味方になってくれた
妻に、心から感謝しています。
世の中には、大企業が合う性格の人間と、
中小企業の方が合う性格の人間がいると感じています。
私は、間違いなく後者でした。
どんなに大きな会社でも、毎日顔をつき合わせて
仕事をするのは、せいぜい10数名です。
そう考えると、大企業のメリットは「つぶれない」と
いうことだけのような気がします。
(これは大きなメリットであるとは思いますが・・・)
また、大企業では自分が風邪で休んでも、
代わりを果たしてくれる人がいいるので、
安心して休めるというメリットもあるかもしれません。
中小企業では代わりがいないので、
「這ってでも会社に来い!」と言われることが
多々あります(笑)。
でも、これは「自分ががんばらなければいけない」
というやる気につながります。
私にとっては、「つぶれない」メリットよりも、
この「やる気が出る」「仕事に対しての責任感をもてる」
という中小企業のメリットのほうが大きかったです。
また、自分の作ったアプリケーションを、
自分のすぐ隣に座っている営業が売りに回って
くれるということも、
大企業では味わえなかった快感でした。
今の会社に出会えたのは、
ほんとにラッキーだったと思います。
まだ定年までは20年もあるので、
今はまだわかりませんが、とりあえず今の会社に
勤めてからは、発病によって会社を休まなければ
ならないようなことにはなってません。
この会社は、きっとどんな環境にあっても、
神様が助けてくれると信じ、
躁鬱病という病気ですらも、神様が与えてくれた祝福
だと感じることができた私に対する、
神様からのプレゼントだと思っています。
今から20年後に、もう一度この日記を読み返してみたいと思ってます。
その時も、今と変わらない、感謝の気持ちで一杯の状態
だといいなぁ・・・と願っています。