吾輩は しそ焼酎の鍛高譚 (◕‿◕✿ 名前もタンタカタ~ンである。 未曾有の災害地にも春が来て やがて桜の花が咲く今日この頃 客に継がれるグラスの中で ゆらりゆらりと揺られながら まるでDotpedのように無表情な顔をしながら (. _ .) 思うことがある。
ゆらりゆらりと云っても 今でも時々来る余震ではなく 川面に揺れてる桜の枝が ゆらりゆらり 硬き蕾 君を想う乙女心からも程遠い。花咲くことは似合いそうもない吾輩でも 春が来る頃 花咲く頃には 儚き夢でも見たいものだ。
14 〔 無表情 (∵) 〕 の続き・・・
それにしても この未曾有の国難に 胸痛む日々が続く。
計画停電 不要不急の買い物を控える 不要不急の放送番組は持ち回り或いは輪番で放送する
等々 考えてもいいと思うが ・・・・
人間は 短絡的発想しかしないのかな?
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今 テレビや新聞などは 東北地方被災地の現状や福島原発に関するものが多いらしい。
その話を聞いているだけでも ストレスと不安で 胸が強く締め付けられるようである。
胸が締め付けられると云うと 吾輩は普段から瓶の中で過ごしているので それは狭心症が引き
起こしたものなのかも知れないと 思うこともある。
客が来る前 時々棚の隅から ママと一緒にテレビ報道を観るのだが 何やら専門家と称する人達や
素人の芸人達までが原発や災害関係者への非難や批判ばかり それだけでもウンザリ まるで昼間
から不味い酒を飲んだようで 悪酔いする。
もっとも 吾輩は瓶の中で 素から酒びたりではあるが ・・・
◇ ◇ ◇
暫く顔を見せなかった Dotped (D) が 一人で来て 脚長のカウンター席に座る。
相変わらず のっぺり無表情で 生気が感じられない話し方で 同じように世間を語っている。
Dはガブガブと吾輩を一口で飲み乾すと 普段 決して云わない無常な事を 友子ママに聞く。
『 ママ 最近イライラし 刺激的な事を云うことが 多いような気がするな 』
『 えっ? 』
『 この間の入院検査で 何か悪い病気でも見つかったか? 』
『 あ~ 疲れやら地震で ちょっとストレスが でも大したこと無いみたい 』
『 東北震災後 どこの店も暇みたいだし ・・・ 』
『 そうよ 最近Dさんも来てくれないし ・・・ 』
銀座4丁目 和光や三越などのデパートの灯りも暗いが もっと暗くしているのは夜の繁華街だ。
夜のネオンが灯っていても 閑古鳥が鳴き 既に800軒以上の店が閉鎖したと云われている。
この状況は バブル崩壊後の銀座でも 2008年秋のリーマン・ショックでも 無かったことだ。
『 暫く唄うような気分ではなかった でも 時々ママの夢は見てたよ 』
『 あ~ら お上手ね 私が夢に出ていたのなら 出演料もらわなきゃ! 』
『 夢で 口づけも ・・・ 』
『 出演料 凄く高いわよ 』
『 あははははっ 』
『 ぅふふふふっ 』
やっと二人に笑顔が零れた。
吾輩の目からも雫が ・・・・ これは氷の雫?
〔 友ちゃんは 友達 それとも トモダチ ? 〕
『 小雪さん 結婚したのね 』
『 結婚? あ~日本の小雪さん 』
『 何を考えてるの? あっ そうそう 上海の
小雪さんの話 その後 どうなってんのよ 』
『 そうそう ブログ仲間も そろそろ続きを掲載してはと
で そうそう 早々に出そう ・・・ 』
『 あははっ あらっ お友達が いらしたわよ 』
Dの友人Kが 彼の弁護士仲間達を連れ立って入ってきた。
続いて眼光鋭い老人も 彼の友を連れ入ってくる。
店内が 急に忙しくなる。
『 ちょっとごめんなさいね いえ ありがとう 貴方は不思議に今日も客を招いてくれてるわ 』
確かに不思議だ。
Dが久しぶりに訪問する店で云われることが多いそうだが 最近 暇だ暇だと云っている矢先
幾つかのグループが立て続けに やって来て 急に満席になることが多いそうだ。
吾輩は あちこちでも良く聞く話ではあるが ・・・
『 類は友を呼ぶか!? 自然災害も凄いが 自然に集まると云うのも不思議だな~ 』
『 Dさん 貴方は一体 何の類なのかしら? じゃあ また後でね (◕‿◕✿ 』
『 Birds of a feather flock together. 』
カウンター席から 後ろを振り向き ボックス席を見る。
Kの仲間に 一人 長髪で目だつ背の高い奴 外国人だ。
普通に日本語で話しているので全く気がつかなかった。
彼に長髪 いや挑発 英語で問いかける。
『 Excuse me, I wonder if I could ask you where you are from? 』
『 Of course, 日本語で答えてもいいですか 』
『 Yes,please. 』
彼に英語で尋ねる。 返答は流暢な日本語 奇妙な会話だ。
彼は米国コロラド州から 東日本大震災後に 東北地方被災地の救援活動に来たそうだ。
コロラド州大学で日本語学科を学び 米国の社会人相手に 日本語を教えていたと云う。
道理で正しい日本語を 極めて流暢に話すはずだ。
暫く 日本での活動を聞いていた。
『 在日米軍の 〔 トモダチ 〕 と同じですね 』 と云うと
『 私もトモダチよ (◕‿◕✿ 』 ママが何時の間にか戻り 横槍を入れる。
『 友子も トモダチか 』
『 そうよ トモダチの友 そうして輪が和になるのよ 』
『 上手いことを云うね 』
『 だって本当の事ですもの 』
老人がママを呼んでいる。
カウンター席に一人でいないで Dも一緒に来いと誘う。
相変わらず 我侭で強引な人だ。
Dが老人と 地震や大津波 更に現在進行中の原発事故対策 そして米国ハーバード
大学のマイケル・サンデル教授のシンポジウム内容について意見を述べ合っている。
話の様子から 吾輩が生まれた故郷のアイヌ伝説に纏わる湖の 清い水の世界からは
とても想像出来ない事象だ。
吾輩は狭い瓶の中に居住する最小の幸せを発見 これが最大の幸せなのだと実感した。
サクラに恋 明日への讃歌を唄う。
次回へ続く ・・・
福島原発危機はなぜ起きたか
2006年 米国の原子力工学の国際会議で 東京電力は試算段階としながらも 福島第一原発に
設計想定を超える津波が来る確率を「 50年以内に約10% 」 と予測し発表していたそうだ。
住田健二・大阪大名誉教授が 『 進行中の事故を評価するのは難しい 』 と評価するように
確かに難しい。
とはいえ 大地震から大津波 更には原発事故全て ともすれば想定外だったと云うのであれば
今から振り返ると それは全てにおいて危機管理の低さと想定自体が過度に安易な考えであり
認識が甘かったと非難されても仕方ない。
原発の代替エネルギーには太陽光・風力・潮力・地熱などがあるが それが重要エネルギー源に
なるには最低でも20~30年は必要だと云う。 重要な事は原発の安全であり 原発の必要性
の有無ではないという意見もある。
以下 埋もれた4年前の英文レポート 福島原発モデルに巨大津波を分析という翻訳記事を紹介。↓
☆ JAPAN ENGINEERS KNEW TUNAMI COULD OVERRUN PLANT - International Conference in Miami, Florida ☆
Tokyo Electric did nothing to change its safety planning based on that study, which was presented at a nuclear engineering conference in Miami in July 2007.
2004年のスマトラ沖地震 インドネシアとタイを襲った地震津波の被害が警鐘され日本の
原発関係者の間に広がり 東京電力の原発専門家チームが 同社の福島原発施設をモデルにして
日本における津波発生と原発への影響を分析され 2007年7月 米フロリダ州マイアミの
国際会議で発表した。
大きな懸念があったのは 40年前に建設され太平洋に面した地震地帯に立地した福島第1原発。
その地域は過去400年に4回( 1896年 1793年 1677年 1611年)
マグニチュード8以上と思われる巨大地震にさらされた場所だ。
レポ-トの抜粋は続く。
原発推進という利害のもとで 密接な関係を築いてきた経産省・保安院と電力会社。
ともに原発の危険シナリオを厭い 「 安全神話 」 に共存する形で その関係は続いてきた。
だが 監督官庁と業界の密接な関係は ともすれば緊張感なき「もたれ合い」となり 相互の
チェック機能は失われていく。
END