| 〔 中国旅行記 〕 - (第三回) と 第四回)を一緒にしました。 |
某IT企業の経営者である友人の「中国旅行記」、第3回目は西安(続)、「万里の長城」「秦の始皇帝」の話でワクワクします。
〔閑話休題〕-中国旅行記-(第三回))
15日は、『兵馬俑・銅馬車:世界文化遺産』『始皇帝陵:世界文化遺産』『華清池・華清宮』を観光しました。
いよいよ秦の始皇帝の世界です。
秦の始皇帝は、BC221年に13歳で即位し、すぐに「始皇帝陵」建設に着手しています。
秦が中国を統一できた理由の一つに武器を鉄製にしたことが上げられます。
統治に成功した理由としては、宰相李斯の進言により、各国でバラバラであった漢字を統一し、度量衡・貨幣を統一し、道路を舗装し、車幅を統一したことなど上げられます。
国にとって北の敵は常に怖いもので北狄と言われて来ました。(ガイドのTさんは、現在はプーチンのロシアが一番怖いと言っていました)。
皇帝が行ったことは北の敵に備えた「万里の長城」の整備です。
始皇帝の暗陰の部分は、李斯の進言に依ったものといわれていますが、儒者たちの書物を焼き払う「焚書」や、儒生ら多数を咸陽で生き埋めにした「坑儒」、秦滅亡の際、項羽により焼き払われ、
煙火が3ヶ月に及んだといわれる14平方キロメートルに及ぶ阿房宮(あまりに非常識的にでかい宮殿
だったのでアホの語源になったとう説もある)建設などが挙げられそうです。
始皇帝稜は36年を掛けて建造され、70万人の罪人を含め多くの庶民を徴用し、応じない庶民への処罰はきわめて厳格でした。 万里の長城建設、舗装道路整備でも同じでした。
非情な暴君として、殷の紂王と夏の桀王に並び称されている理由はこの暗陰の部分にあります。
『兵馬俑・銅馬車:世界文化遺産』『始皇帝陵:世界文化遺産』は、想像を絶する規模で、圧倒されます。
ともかくすごいという感じです。筆舌には尽くしがたく、このときの印象は言葉にならず、文章化も不可能です。
この日の夜は、陝西省歌舞大劇院で西安歌舞ショーを観賞しました。 中国は、隋、唐、宋、明、清などこの1000年あまり北京が首都ですが、それ以前の2000年以上は西安が首都であり、西安歌舞ショーはこの古代王朝をテーマとしていました。
『華清池』は西安から東に30キロ離れた秦嶺山脈の麓にあります。唐の玄宗皇帝が8世紀半ばにこの温泉地に造営した本格的な宮殿式建物が『華清宮』です。
玄宗は毎年秋から翌年春まで楊貴妃と共に『華清宮』に住み、温泉に入り、歌舞を観賞し、歓楽の
日々を送ったそうです。
『華清宮』には玄宗と楊貴妃のための蓮花湯と海棠湯という専用浴室、玄宗と楊貴妃が泊まった飛霜殿などを見ることができました。
唐代の有名な詩人白楽天(白居易)は、玄宗と楊貴妃の『華清宮』におけるロマンスを素材にして長編の叙事詩「長恨歌」を作っています。
(白楽天は,日本人阿倍仲麻呂と親しく付き合った人で、阿倍仲麻呂が一旦帰国の途につきますが、途中台風に見舞われ死亡説が流れたことがあります。 白楽天はそれを悲しみ「哭晁衡詩(こくちょうこうし)」を詠っています。 結局阿倍仲麻呂は再び長安(西安)に戻り53年間中国で暮らし死去しています。)
また、1936年12月には、毛沢東が周恩来を西安に派遣し、蒋介石と交渉した結果第二次「国共合作」が実現していますが、この舞台も『華清宮』です。
次回の第4話は、いよいよ敦煌です。
下は、某IT企業の経営者である友人の「中国旅行記」、第4回目は〔敦煌〕です。
2.〔閑話休題〕中国旅行記- 第4回
16日は、敦煌行きの飛行機の出発が計画より3時間後に変更になりましたので、『乾稜』に行って
きました。・・・
16日の朝一番で私がしたことはホテルの新聞スタンドで、全国紙と地方紙を購入することでした。
私は中国語を読めませんが、いずれも一面には「小泉首相の靖国参拝」の記事が載っていました。
『乾稜』までは、市内から約一時間掛かりましたが、着くまでの間ガイドの賈さんと、いろいろと
日中関係を話しました。
「小泉首相の靖国参拝」に関する賈さんの見解を要約すると、「毛沢東・鄧小平は革命軍人で力を
もって国を抑えたが、江沢民は文人でどう国民に対する求心力を得るかが課題であった。
日中関係における侵略の過去の問題は求心力形成に必要であった。 国民がみんなそう思っている
わけではない。小泉さんは引退する間際なので今回は話題性が少ない。 中国としては次の安倍
さんが日中関係をどう考えるかに関心がある。」でした。
『乾稜』は、唐の第三代皇帝である高宗とその夫人が埋葬されている陵墓です。 一つの山が乾稜
そのものになっていて、陵墓そのものは発掘されていませんので、それに到る参道を観光すること
になります。 道の両サイドに沢山の大きな石像が並ぶ壮大な参道です。
高宗の婦人は高宗の実父である、太宗の后であったが、高宗の死後一旦尼僧になった後、尼僧を
辞めて高宗の后となり、高宗亡き後は中国で唯一の女帝になった、則天武后(武側天)のことです。
夜は、西安咸陽空港から敦煌に向いました。 敦煌は砂漠の中のオアシス都市です。3つに延びる
シルクロードの交差点であり、漢代は西域に対する最前線の軍事基地でもありました。
17日は、敦煌郊外の『莫高窟:世界文化遺産』を中心に『月牙泉』『鳴砂山』『敦煌博物館』
『敦煌城』を観光しました。
『莫高窟』は、中国三大石窟の一つで、当時の仏教芸術が集大成されている場所ともいえます。
元代にいたる約1000年間、石窟は掘り続けられ、約1000の石窟がありますが、現在はその半分
の石窟が保存対象とされています。
説明してくれた学芸員の話では、書かれている壁画から当時の建築技術の細部までわかるそうで、
300名の建築関係の研究者が常駐しているそうです。 また当時の服装からも材質・染めの技術・
縫いの技術などかなりのことが分かるそうです。 遺産の貴重さはこんなところに真髄がある
ようです。
バーミヤンの巨大石仏がタリバンによって破壊され、人類史に大損害が出ましたが、毛沢東時代
の文化大革命時の紅衛兵の勢力が及ばなかったのが幸いだったと感じました。きわめて保存状況は
良好でした。
『敦煌城』は、中国と日本の合作で作製された井上靖原作の映画「敦煌」のために作られた、
城や城壁、町並みをはじめとする広大な撮影セットです。
PS:中国旅行記、最終回は〔北京〕〔万里の長城〕です。
| 後日 〔 上海の小雪さん 〕 (その3)を その4【小雪さんと紅楼夢】の記事に組み込みました。 |