私はもともと、メンタルが強いほうではなくて、かといってひどく弱いほうでもない。
大体の人はそんな感じなのではないだろうか。

独身時代、社会人としてフルタイムで働いていた時期は、お客さんや上司、同僚と話を合わせるために、朝のニュースは欠かさず見ていて、時には新聞も読んでいた。


それで自分から話題を提供することができたし、話題を振られたときにはそれなりに答えることもできたし、社会情勢を押さえている自分は、20代前半ながらも、しっかりしている!と思っていた。




ところが、30代に入り子どもを出産すると、いたたまれない乳幼児虐待や殺人のニュースを朝から目にした時は、心がずーんと重くなっていることに気付くようになった。



「生後3か月の我が子を…」など、月齢が近い赤ちゃんのニュースを目にしたときは、自分の、ベッドに寝転がっている赤ちゃんを見つめては、どうしようもなく、苦しい気持ちになってしまう。



産後のホルモンバランスの関係で、余計にこんな感情になってしまうのは、自分でもわかってはいながらも、メンタルの落ち込みを抑えることなどできなかった。

虐待や殺人のみならず、交通事故、議員の汚職事件、公務員のわいせつ事件、青少年の犯罪、特殊詐欺事件、大企業の利権問題、北のミサイル発射…もうもう小さい頃から何度も何度も十分に見てきた気がする。

ニュースの大半というかほぼ全ては、はっきりいって私に関係のない事なのである。


例え世界のどこかで紛争が起きていたとしても、その場所に身内はいないし、影響があることといえば、日々のスーパーでのお買い物の金額が上がることくらい。


物価高騰はスーパーに行っていれば、嫌でも実感するし、なぜ高騰しているのか知りたければ、自分で調べればいいだけ。

交通事故や、親の不注意による子どもの事故も、基本的なことに気をつけて生きていれば大抵起こらないし、悲しいことに、どんなに注意していても起こるときは、起こる。



なので、ニュースから学ぶことはもうない。

そんな自分に関係のない情報に毎日踊らされて、くだらない内容でがっかりしたり、時には心を痛める必要があるのだろうか。



朝は穏やかに過ごしたい。



私は朝のみならず、実験的に生活全てからニュースを断捨離してみることにした。


″実験的に”というのは、ニュースを見ない事で、何か弊害が起こる恐れがあったので、いつでも元の状態に、戻せるようにしておきたかったからである。



結果的には、ニュースを断捨離したことで、起こった弊害は、断捨離が4~5年続いている今もない。


大きな事件が起きた時は、その日の朝、幼稚園バスのバス停のママさんに教えてもらったし、その他にも家庭内や、職場で大体は情報が入手できる。



社長、経営者は別として、市井の人々の口から出るニュースというものは、大半がトップニュースであったり、多くの人が興味関心をもつ内容であるので、ニュースなんかわざわざ見なくても、必ず耳に入ってくるようになっているのだ。


「ニュースも見ていないのか」なんて言われていたのは、せいぜい20代までで、30代の子育てママが、多少情弱であろうとも誰も気にしないし、そもそもそんな事をいちいち気に掛ける人と、私は付き合いたくない。


むしろ「そのニュース知らない。詳しく教えて。」と聞いた方が、相手も意気揚々と教えてくれることのほうが多い。



肝心のメンタルはどうなったのか、という話であるが、メンタルはここ数年で確実に強くなっている。


ただし、それにはいろんな要素が組み合わさっているので、このニュースの断捨離効果がどれだけのウエイトを占めているのかは、知りえない。



とにもかくにも、もうニュースを毎日欠かさずに見ていた頃には、戻すつもりもなく、毎日快適な朝を私は過ごしているという事だ。