親は少なからず子供に期待をかけると思う

 

健康に育ってほしい

笑って生きて欲しい

 

算数ができそうだと兆しが見えれば

勉強ができる子になって欲しい

音楽にあわせて無邪気に体をゆすれば

未来はダンサー?

サッカーやりたいと言えば

サッカー選手??

 

といつの間にか期待は

どんどん膨らむ

 

健康で笑っていてくれれば

という最初の願いはどこへやら

 

 

うちの長女にも言われた

お母さんは私に期待していた

 

その期待が重かったとか

ウザかったとか

 

 

初めての子供だし

お母さん1年生だし

わからないことの真っ只中で

いつも存在するのは子供への期待

生きていてほしい

 

 

それはしょうがないんじゃないか

子供に対する希望

「生きていてほしい」

それはあるでしょう

 

 

今でこそ

好きなように生きていけばいい

自分の人生の責任は

自分で取る時が必ず来る

 

または

一人一人

自分の人生を生きるために

自分の修行をするために

生まれてくる

 

と思える

 

 

親の子供に対する想いを

ひしひしと感じながら読みました

 

思っているだけで伝わるか?

伝わらないか?

このクスノキの代わりに

なるものはないのか?

 

 

親は子供に伝えようとしなければいけないし、子供は親の思いを受け取ろうとしなければいけない

 

その逆もかー

 

 

私も50代後半になって

ようやく親の気持ちを考えるようになった

というか死んでしまって

いなくなってから想うようになった

 

 

20代の娘たちに対して

親の気持ちも考えてよ

なんて無理な話だ

 

 

もうこの世にいなくなって

何もできることがなくなって

その時に後悔という形で理解させられるのか・・・

 

 

東野圭吾様

今回も素敵な物語でした

ありがとうございますラブ

 

 

容疑者X の献身

麒麟の翼

祈りの幕が下りる時

 

 

映画にもなってますが

どれも好きです

どうしてこうも

人の想いを表現してくださるんだろう

いつも感動の嵐です

 

 

 

 

今日もありがとうございます♪

 

 

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