「心地」を接尾語につかうときは、「居心地(いごこち)」「座り心地(すわりごこち)」「着心地(きごこち)」「乗り心地(のりごこち)」「触り心地(さわりごこち)」「夢心地(ゆめごこち)」「住み心地(すみごこち)」のように、「ごこち」と濁音になる。
自身は、「☆心地(ここち)よい☆という表現の「ここち」という濁らない響きが好きだ。好きだというだけで善悪優劣上下を語っているわけではない。そして、「生きた心地がしなかった。」というような状況でも使われる表現でもある。
辞書を引くと、「気分。気持ち。気分をつくりだす外界の様子。」「身体の状態についての自分の感じ。」「心の中。思慮。」とあった。
また、「心地誤る(ここちあやまる)」・・気分が普通でない。病気である。
「心地後る(ここちおくる)」・・気がきかない。心がおとる。
「心地違う(ここちたがう)」・・気分が悪くなる。心が正常でなくなる。
「心地無し(ここちなし)」・・思慮が浅い。
「心地行く(ここちゆく)」・・気持ちが晴れ晴れ(はればれ)する。
「心地好い(ここちよい)」・・快い。気持ちが快活である。
この六つの中で自身が使用してきたのは、「心地好い(ここちよい)」だけであることに気がついた。この場合も、「心地良い」ではなく、「心地好い」だったのも納得だ。
しかし、「先人たちは、ずいぶん豊かな表現を共有していたのだなあ」と新鮮に感動した。
「心地(ここち)」は、万人共通の今の自身の心を観察した表現なのだから、自身をしっかりと見つめる時間と空間を先人たちは持っていたということなのだろう。
こういうことに気づけたのも、ブログの効用かもしれない。
それにしても、昨今の言葉の意味の乱れは、目に余る状態だ。辞書を書き直すことになるのだろうか?
国会で乱発される「謙虚」「真摯」「丁寧」などは従来の意味からは逸脱も激しいので、子どもたちへの言語環境の劣化が本気で心配される事態だ。
英語の早期学習よりも、まずは母国語の衰退を抑制するのが国民としての急務ではないだろうか?それは先人からバトンを受けてきた大人としての責任でもある。
和英辞書で、「心地」を調べてみたら、「feeling」とあった。「sensation」もあった。
気分は「mood」だそうだ。「emotion」は「感情(理性に対して)」だ。
日本人の心情を英訳するのは、なかなか大変そうだ。
こうしてみると、古来の先人たちの精神生活は豊かだったのだなあと羨望の気持ちが湧いてくる。この心地はどう表現したらいいのだろう?