先人の格言に「過ぎたるは、猶(なお)及ばざるが如し」がある。
猶は、「恰(あたか)も~のようだ」の意味だ。
恰もは、「まさに、ちょうど」の意味だ。英和では、just likeとあった。
この格言は、好きだ。経験的に当てはまる事象がかなり多いからだ。
また、類句には、二つある。これらも思い当たる体験がある。
「薬も過ぎれば毒となる」
どんなにためになるよいことでも、度を過ごせば、害となる。
「分別過ぐれば愚に返る」
あまり深く考えすぎると、かえってくだらない考えや選択になってしまう。
この十数年、世界のトップランナーと自認していた日本を代表する大企業が次々とその座から滑り落ちている。または、黒い噂は「電通」「東電」が包まれている。
経営悪化が表面化した大企業名を思い出せるだけ挙げてみると「シャープ」「三洋」、6月に破綻した「タカタ」、上場廃止危機に見舞われた「東芝」など有名企業が次々である。
今は、「日産自動車」と「神戸製鋼」の不正が取り沙汰されている。日産は、無資格者による製品検査の発覚と神戸製鋼は、製品の性能データ改竄の発覚だ。
何が起きているのだろうか?これだけ続くと、さすがに問題発覚した特定企業だけの特殊な問題ではなさそうだ。
米国流の「当期利益至上主義」の導入によって、会計期間が四半期決算となり、目先の数字を上げることを優先するようになった結果なのだろう。
企業風土として、株主への配慮(カネ)を過剰に優先した結果だと思う。またそういう思考回路の人間が出世できるような組織になってしまっていたということなのだと思う。矜持を正して、企業の社会貢献や信用第一による永続を考えるタイプの人材は出世コースからは外されてきたに違いない。たぶん銀行出身の経営者などが数字だけを見て、現場の尻をたたいたに違いない。種を播かずに刈り取りの収穫ばかりを煽るわけだから、出世コースを歩みたい忠実な下僕社員は、数字操作のインチキでごまかしたり、手抜き検査をして効率最優先に走ったに違いない。
真面目なまともな神経の持ち主の社員は、左遷されたりしていたのではないかと想像する。もし、そういう企業の信用や社会貢献を第一に働こうという人間がいなかったというならば、採用の時点で、縁故採用のような採用基準の劣化が合ったに違いない。もしそうならば、日本の大企業はかなりの重病であると思う。
「過ぎたるは、猶(なお)及ばざるが如し」の格言が当てはまる共通の病巣が日本の大企業の体質に巣食ってしまっていると考えるのが妥当だろう。あきらかに、カネの数字や効率を追いかけ過ぎである。
本来の「社会貢献できてこそ、企業の存続である」という基本的な立ち位置に戻るのが、蘇生の第一歩となると思う。
出世のために、多くの真面目な従業員や下請けや取引先の企業への背信行為は許されるものではない。
しかし、最近どこかで同じような背信の姿を見たような気がしたが、思い出した。国会での財務官僚の姿である。かれは国会で国民への背信行為を隠し通すことで、国税庁長官に昇格したという。
政官財ともに、「アメリカファースト」に源泉のある「忖度思考」を止めないと日本社会全体の有能な人材が腐ってしまう恐れがあることを自覚すべきである。日本は、主権国家であるはずなのに、外国からは米国の下僕国家に見えているだろう。本来、日本は被爆国として、世界の核兵器廃絶の平和運動の先頭の中核にいてもおかしくない国なのだ。
どうもアメリカに対する★忖度★が度を越している。さもなければ、未だに、ひょっとすると「准独立国」なのかもしれない。
キナ臭い緊迫した情勢にあると選挙で国民に訴えたのだから、トランプ大統領とのんびりとゴルフをしながらでもいいから・・・、「分別過ぐれば愚に返る」の格言を思い起こして欲しい。
庶民にとっては、平和な健康で文化的なささやかな人生を全うしたいのだから。