黙想・瞑想など、静かに自分と向き合う時間は必要だ。生きることの原点(源)を見つめなおす時間である。

見つめる視座は多々ありそうだが、テーマは普段はなにげなく受け入れて疑問に思わず生活している事柄の本質(コア)や自らの価値観を再考してみるということになるだろう。ブログは、この時間に活用したい。

 

利己欲の達成のための最善の方策をいろいろ思索するという「理想」を探す時間とも違う。

 

かといって、現実から遊離した状態を頭の中につくりあげる「夢想」とも違う。

 脳科学の成果の知見は持ち合わせが無いので、最も身近な自然であり、自身にしか分からない自らの心身の観察を基にして、黙想したことを記したいと思う。

 テーマは、「人間の力量とはなんぞや?」ということだ。☆力☆といってもいろいろ多様にある。“量”は「はかる」と読む。それぞれの力の性質・性格によって、量り方もいろいろ在りそうだ。重さ(軽重)か、大きさ(大小)か。また計るや測るもある。長さ(長短)か、高さ(高低)か、面積か(広狭)か、距離(遠近)か、美しさ(美醜)か、熟度(老若)か、厚さ(厚薄)、温度(冷熱)か、強さ(強弱)人間の力を表現するのには何がふさわしいのか?力にもいろいろ在りそうだから、その都度考えることにするのがよさそうだ。
昨今は、カネで換算する風潮が蔓延しているが、なぜ「高低」の表現なのかも感覚の面からいずれ考えてみたい。

 タイトルを「裸で無人島」にしたのは、「人間の力量とはなんぞや?」と考えるときに、もしも無人島に裸で一人で取り残されたら、どうしたら、生き残れるのか?と考えるのが一番近道だと思ったからだ。前提は豊かな植生の自然がある環境だ。過酷だったらすぐに死を迎えることになるから閉幕となる。

  無人島の孤島で生きる、サバイバルだ。自力で生き抜く力を試されるのだ。条件は、温暖で豊かな自然環境だけで、道具は何も無い。着衣もない。何を思うか、どうするか。


最初に思うのは、誰か一人でもいてくれたら心強いということだろう。手分けもできるし、相談もできる、会話もできる。もう一人いたら、さらにやれることが飛躍的にふえるだろう。家族や仲間の存在の大切さを再認識するだろう。

  次に、やるべきことは、第一に☆飲み水の確保☆と☆食料の確保☆だろう。食料は、採集と魚貝類だろう。何日かはそれにかかりっきりで過ごすのは確かだ。少しの余裕ができたら、一応の知識とわずかな経験はあるので、時間をかけて、知恵をめぐらして、火起こしや簡易な道具の製作や寝起きの拠点となるスペースも探すだろう。探す素材は石や貝や木や葉だ。

  寒すぎたり暑すぎたりしない環境なら、着衣については気にしないかもしれない。なにしろ一人なのだから、他の目を気にする必要がないからだ。

 でも、このあたりで多分拙者が気づくのは、農山村や漁村で暮らしている人ならば、生き抜くために応用できる☆知恵☆と☆技能☆は、都会人として育った拙者の何倍も有しているに違いないということだと思う。
つまり、生き抜く人間力は、都会人に比べて桁違いに強いということだ。

 

昨年、自己破産者が史上最高を記録したという報道があった。カードローンによる破綻者が増加したことに起因するようだ。賑やかな都会の中でも、★限界生活★は進展しているのだ。

担保なしのしかし高利の借金に依らなければ生きていけない暮らしが増えている現実はなぜそうなったのか、消費者金融の悲劇のあとに、代わりのように発生し、社会問題として分析する必要があるほどの時点に来ていると思うが、たぶん当事者はそういう分析の時間さえとれないでいるのだろう。テレビコマーシャルに、高利の借金返済の利子の払いすぎの取り戻しのお手伝いしますという画面が流れるのを観ながら、そういう暮らしに陥った人がかなりの人数がいるからTVで広告するのだろうと暗然とした気持ちになる。


 農山村の★限界集落★というが、単に暗いイメージで語られていないか、実は都会暮らしに麻痺しているのではないのか、深く考えてみる必要を感じる。