「ハイブリッド」という語のイメージは、漠然と“ ハイ ”が付くから、高級かな?と感じてしまう。だが、実際は、hybrid というスペルなのだ。意味は、雑種である。

別に驚くことはない。人間は皆、雑種なのだから。雑種だからこそ、DNAの中に秘められたまままだ眠っている遺伝子ちゃんが沢山居るのだ。

 

 多様性の価値や持続性の価値が見直されているが、そういう思想の中でも最近になってやっと陽の目を見たものもある。

とりわけ、男女の区別・差別は当然のように行われてきた。ところが、最近、次のような記述に出会った。

「内分泌学は、男女の性別というデジタルな性差は、実は性ホルモンの分泌量というアナログで連続的な変化の途中に恣意的に引かれた境界に他ならないという考え方を私たちに伝えた。同じように、解剖学は外性器についても二項対立的な性差は存在せず、誕生後に外性器が矮小化したり、肥大化したりすることはまれでないし、両方の性器が発達するandrogynousも存在することを教えている。いずれの水準でも、自然界に見られるのは、多様性と連続性だけであり、デジタルな性差なるものは科学的事実としては存在しない。セックス・ボーダーは人間の作り出した仮象にすぎなかったのである。」

つまり、男女という「二項対立的」な捉え方は、誤りだったというえる事実が明らかになってきている知見が示されているのだ。

 

「分かる」という表現があるように、生死とか善悪とか美醜とか区別することで、人間は思考しているが、そうではなくてアナログ的な連続性の繋がりがあるというのだ。性の問題でもそれが明らかになりつつあるというのだ。

 

ジェンダーというのは、生物的な性別でセックスと関わるが、社会的文化的に形成された性別だという。フェミニズムという女性解放思想もそれを前提としているらしい。

この辺りのことは、もう少し詳しく勉強してみたい課題として浮上してきた。

 

昨日、フランス映画を観たあとに、たまたま上記の記述に出会ったので、課題意識が芽生えた。偶然だが、この芽を生かしてみようと思う。