茶(ちゃ)と飯(めし)は、日本の日々の暮らしに常に馴染んでいた欠かせない営みだったことから生まれた慣用語句が「日常茶飯」だろう。頻繁(ひんぱん)に起こることを「日常茶飯事」と表現することもある。

 

 米飯を炊く技能は、かなり熟練と熟達を要する高度な人間力が問われる行為であり、奥深さがあるということを前回のブログで記した。

 

 今回は、茶に注目して考察してみたい。特に“煎茶(せんちゃ)”を中心において考えてみたい。茶の湯というと流派作法のある“抹茶(まっちゃ)”であるから、庶民は少し畏(かしこ)まってしまう。

 それと比べると煎茶と番茶は、食事のあとやおやつ時間には付き物だった。「ここらで、一服してお茶しようか」などという会話があるほどだから、緊張をほぐしてリラックスする際の飲み物だ。「茶飲み友だち」という親しさの象徴のような表現もある。来客があれば、お茶を出すのが慣習だ。「今日は、湯飲み茶碗(ちゃわん)の中に茶柱が立って縁起がよい」というようなことも以前はよく会話されていた。茶柱とは、湯飲み茶碗の中に縦に立って浮く茶葉の茎のことだ。 煎茶を淹(い)れる急須(きゅうす)に比べて、番茶を淹れることの多い土瓶(どびん)は、陶茶漉し(とうちゃこし)の目が荒いので、茶の茎が湯飲みに出てき易い。(最近は、急須も土瓶も金網製茶漉しをセットする型が多いのは残念!茶柱が立つことは無いから。)

 

 ここでちょっぴり「豆知識」を補っておく。

日本茶の分類:玉露(ぎょくろ)、かぶせ茶、煎茶、番茶、焙(ほう)じ茶、(発酵させる紅茶・烏龍茶も国産がある)

 

 茶(ちゃ)と飯(めし)は、日本の日々の暮らしに常に馴染んでいた欠かせない営みだったことから生まれた慣用語句が「日常茶飯」だろう。頻繁(ひんぱん)に起こることを「日常茶飯事」と表現することもある。

 

 米飯を炊く技能は、かなり熟練と熟達を要する高度な人間力が問われる行為であり、奥深さがあるということを前回のブログで記した。

 

 今回は、茶に注目して考察してみたい。特に“煎茶(せんちゃ)”を中心において考えてみたい。茶の湯というと流派作法のある“抹茶(まっちゃ)”であるから、庶民は少し畏(かしこ)まってしまう。

 それと比べると煎茶と番茶は、食事のあとやおやつ時間には付き物だった。「ここらで、一服してお茶しようか」などという会話があるほどだから、緊張をほぐしてリラックスする際の飲み物だ。「茶飲み友だち」という親しさの象徴のような表現もある。来客があれば、お茶を出すのが慣習だ。「今日は、湯飲み茶碗(ちゃわん)の中に茶柱が立って縁起がよい」というようなことも以前はよく会話されていた。茶柱とは、湯飲み茶碗の中に縦に立って浮く茶葉の茎のことだ。 煎茶を淹(い)れる急須(きゅうす)に比べて、番茶を淹れることの多い土瓶(どびん)は、陶茶漉し(とうちゃこし)の目が荒いので、茶の茎が湯飲みに出てき易い。(最近は、急須も土瓶も金網製茶漉しをセットする型が多いのは残念!茶柱が立つことは無いから。)

 

 ここでちょっぴり「豆知識」を補っておく。

日本茶の分類:玉露(ぎょくろ)、かぶせ茶、煎茶、番茶、焙(ほう)じ茶、(近年は、発酵させる紅茶・烏龍茶も国産がある。)

 

 新芽が2~3枚開き始めたころ、茶園をヨシズやワラで20日間ほど覆い(被覆栽培)、日光をさえぎって育てたお茶が「玉露」。最近は、化学繊維で覆うことも多いらしい。光を制限して新芽を育てることにより、アミノ酸(テアニン)からカテキンへの生成が抑えられることで、渋みが少なく、旨みが豊富な味になるとされる。同じく、被覆栽培する緑茶として「かぶせ茶(冠茶)」があるが、かぶせ茶は玉露よりも短い1週間前後の被覆期間。

 

 「番茶」は、遅く摘み採ったお茶、つまり「晩茶」から転じて番茶というとされる。(業界的には、茶葉の摘採期(春の晩採や秋に摘採)だけでなく、品質、地域などにより、主流以外の「番外茶」という位置づけで呼んでいるらしい。)

 

 「焙じ茶」は、茶葉をキツネ色になるまで強火で炒って(ほうじて)、香ばしさを引き出したお茶。炒る(ほうじる)ことでカフェインが昇華(固体から気体に直接変化する現象)して、香ばしさとすっきりとした軽い味わいとなるという。

 

 日本茶に独特の呼称、というより「総称」としてつかわれる、「緑茶」があるが、これは茶葉の発酵を止めて、葉緑素の色を残したものだ。発酵させた物が「紅茶」で半発酵が「烏龍茶」だ。

 

 「煎茶の製法」には、蒸す(主流)・釜炒り(九州の嬉野が有名)の二方法がある。熱処理(蒸す・炒る)することで酸化酵素の働きを止めた「不発酵茶」が煎茶だ。この「生葉を熱処理し、葉の形状を整え、水分をある程度まで下げて保存に耐えられる状態」にすることを荒茶製造といい、農家段階でできる。

 

 豆知識はこの位にして、煎茶に戻る。茶は、もともと中国から伝来したときは薬の一種だったらしいが、日本の風土の中では、嗜好品として育ってきた。だから、茶飲みは、人好き好きで楽しめばいいのだ。とりわけ、煎茶の味わいは奥が深い世界があるのだ。そのことに是非触れたいから、このテーマを選んだくらいだ。

 

 とりわけ、庶民の暮らしに馴染んだ「茶飲み」の視点から、煎茶ワールドを探索してみたい。

まずは、素朴な疑問から始める。飲食店や喫茶店では、コーヒーや紅茶はほとんど代金が発生するのに、日本茶は無料提供がお代わりも含めて当然視されているのはなぜだろう?

でも、最近になって店舗数は少ないが、日本茶専門喫茶が開店している。しかし、大半は、お茶が主役というよりも、添えてある御菓子に軸足があるような店が多い。嗜好品であるから、それはそれでいいのだが、紅茶専門店や中国茶専門店やコーヒー専門店やハーブティー専門店などと比べると独自性が弱い印象がある。

 経営者や店員自身の煎茶を楽しむ暮らしがまだ日が浅いのかも知れない。客の側は、年齢を問わず、今やペットボトルの日本茶に馴染んでしまっている。急須の無い世帯があるというから驚きだ。ペットボトルの他、ティーバッグや粉末茶で代用しているのだろう。

だから、全く違う“煎茶ワールド”との出逢いを創出しなければならないのに、多くはカタカナやアルファベットで記載するオシャレな演出をしている。それでは、紅茶専門店や中国茶専門店の二番煎じのような気がする。

 

 目先の客数や売り上げを伸ばそうという経営数値に目標をおくならば、「煎茶喫茶店」は良い選択とはいえないかもしれない。もっと息の長い、煎茶の魅力の趣向を楽しむ人々を一人づつ増やしていくような目標の心構えでなければ店を開くのは難しいかもしれない。

 

 問題は二つあると思う。ひとつはグリーンティーの訳語と思える「緑茶」という表現は控えたほうがいいと思う。なぜなら、昔の急須から注いだ煎茶の色は、緑色でなく、“山吹色”だったからだ。客が緑色と思っているからと、売られている煎茶は「深蒸し茶」が今や主流だが、深蒸し茶の茶葉は蒸す過程で細かくなってしまう。色は緑が濃くなるが、高級急須の代表である陶工手造りの「常滑焼」朱泥(しゅでい)急須で楽しもうとすると急須の名人の技が冴える“陶茶漉しの細かい目”にその細かい茶葉が詰まってしまうのだ。かくて、金網製茶漉しをセットする型の安手の急須で淹れることになる。

 

 実は、お茶も「水」で味わいは変わるのだ。南部の鉄瓶で沸かした湯で淹れると旨いというのは本当だ。鉄分が微妙に作用するという。実は、常滑焼の急須の粘土も「朱泥」がおおい。朱色は鉄分が多いからだ。なかでも、本朱泥という陶土で作ったものは高いが最高だ。

だから、朱泥急須をつかえなければ、湯冷まし器を朱泥製にしてもいいかもしれない。

 

 湯の温度は、煎茶の味わいに決定的に重要なので、熱湯を茶の葉に注ぐことだけは避けたい。ふつうに淹れれば、茶の味は三回楽しめるが、熱湯から始めると一煎目から苦い味のお茶でお終いとなってしまうからだ。湯冷ましをするもっとも簡易な方法は、淹れる湯飲み茶碗にそれぞれお湯を入れてから、急須に注ぐ方法だ。これだと熱湯は確実に避けることができる。湯冷まし専用の容器を用意するのが好ましいが、雰囲気を楽しまなくても味わいは確保できる方法だ。

 

お茶の価格についても触れたいが、次回に書くことにする。