さて、高倉健さんとの主演共演者の最多は、誰でしょうか?
最初からギブアップしないで、映画ファンの方、高倉健ファンのみなさんは、ちょっと記憶をたどって、思い出してみてください。
でてきましたか、答えが。
では、答えです。
女優さんの場合の最多は、藤純子さんです。
任侠シリーズで共演した18本もの作品があり、「日本任侠伝 霊門の決斗」1966年9/17公開(健さん35歳時)が最初で、「日本女侠伝 血斗乱れ花」1971年4/3公開(健さん40歳時)で終了します。
(しかし、わずか5年弱の間で、18本の制作とは、異常な気もします)
その次に多いのが、なななんと、美空ひばりさんで、16本の共演があります。
1957年7/30公開の「青い海原」という青春もので健さんが26歳の時のものが最初で、
以降、「三百六十五夜」という恋愛映画1962年9/9公開まで続きました。健さん31歳でした。
(これも五年で、16本ですから、当時の映画産業の熱気が伝わってくるようです)
高倉健といえば、任侠ものかやくざもの、というイメージがありますが、東映のニューフェース時代は、青春ものとか恋愛ものの映画が多かったんです。
当然、ボクは観ていません。
美空ひばりさんは、中村錦之助と共演したお姫様ものや道中ものは、よく観ました。
(ひばりさんは、劇中で歌う声も素晴らしかったですが、台詞の声もとても可愛くて、「おぢちゃん」と呼んでいたシーンと声は、いまも忘れられません)
任侠ものは、藤純子さんのもは別として、あまり好きではなかったので積極的には見に行きませんでした。
理由は、ドスと刺青です。
本物を見て知っている人は共感してもらえるとおもいますが、日本刀の真剣は、凄みと恐さはありますが、美しいです。
ドスや長ドスは、鍔がないうえ、漆や飾りがない白木に刀物が突き刺さっている感じなので、ギラギラして、なんて言うのかな、刺身包丁かカミソリそのものです。
うちの親父は若い時は遊び人だったので、たまにフラリと帰ってきたとき、大阪の環状線で森ノ宮駅と玉造駅の間にある「玉造温泉」によく連れて行ってもらいました。
そこで、親父の知り合いという人たちに時々会ってしまって、「息子や」と言ってボクを苦しそうに紹介するのですが、その相手は両肩か背中に刺青を背負っているうえ、たいていは胸と背中に大なり小なり刀傷がある人種でした。
その粗末に縫ったような刀傷を思い出すと、身震いがします。
「ボクちゃん、困ったことがあったら、おっちゃんのとこにおいでや」と、なぜかボクのちぢこまったちんちんをさわりながら、言うんです。
(同じ歳のいとこの女の子にも、いっしょにお風呂に入ったときも、よくさわられました)
もっと怖かったのは、眉間、それから肩から胸、背中にある刺青を切り裂くような刀傷を背負った人に、東京浅草の旅館の風呂場で出逢いました。
その人から、なんと、わけのわからない英語で話しかけられて肝を冷やしたことがあります。
なんとか話をつなげてみると、明日からハワイで英語の研修があるとかで、やくざも国際的に活動するつもりなのかと強烈にイヤ気分になりました。
ま、そういう経験があるので、やくざ、任侠もの映画は避けていました。
以上のことをお話した後、とても悲しいことが起こりました。
高倉健を特集した以前の雑誌から、健さんの写真をファイルに納めるべく、雑誌背表紙にあるごっついホッチキスを引っこ抜き、ザクザクとはさみを入れていたら、雑誌の角が、先ほどまで飲んでいたワイングラスに当たって、それがスローモーションのように床に落ちていき、ぱり~んと割れてしまいました。
長年の愛用のグラスで、ビールを注いでも、いい白い泡が自然にできるし、口当たりが絶妙だし、指で弾くと、キーンとかチーンとかなるステンレスが入った上物なんです。それが割れてしまったんです。
あ~あっ。
机の上には、先ほどの雑誌の、こちらを睨んだ健さんの写真と、切り分けた片方には、おっぱいの大きなグラビアアイドルの写真です。
健さんが、向かい合わせにあった、おっぱいの大きな可愛い娘と分け分けしたのを怒ったのか、この娘の写真を保存して置こうと思ったこちらの魂胆を見破り、「いい歳して、いい加減にしろ!」って、怒ったのか、、、、、。
睨んでいる健さんの写真に向かって、思わず、「健さ~ん、そりゃないわ、殺生やで!」とつぶやいてしまいました。
次回は、高倉健と多く仕事をした監督とかをお話したいと思います。
今日も、最後までおつきあいいただきありがとうございます。感謝!
では、明日も元気で、ご機嫌よう。
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