三島先生の憂国忌でしたね。
俺が当時は、中学生でしたから
大人は、三島先生の事を変人扱いだったと記憶しています。

俺の個人的な感想ならば、割腹自殺をしないで生きていたらノーベル文学賞はとっていただろうとは、思っています。

後付けですから正しいのかは
ほぼ不明ですが、三島先生が切腹を始めてから、介錯が失敗します。
『落ち着け!』と三島先生が叫んで森田必勝が介錯すると、首が転がり落ちたそうです。

頭ってめちゃくちゃ重いので顔はつぶれて良く判別出来ない。

三島先生の奥様が三島ですと確認してたそうです。

俺の個人的な考え方と感想を言うと、先生は一歩も二歩も最も先を行って仕舞われたのだと思っています!

なぜ?、、、

市ヶ谷のバルコニーでの演説は、自衛隊に国軍に成れ!
いわゆるクーデターを促していたんです。

自主独立、自主憲法制定を叫んでいたのです。

日本は、サンフランシスコ講和条約で、独立していますが、内情はアメリカ合衆国のポチ以下です!

アメリカ合衆国は、日本が核兵器保有国に
成る事を、支那、ロシア、寄りももっとも恐れています。

アメリカは大国ですが東洋の小さな島国の日本と、大和魂が在る日本人ほど軍事的には対等だと言う認識があります。

現代の日本人にはその認識はほとんど存在していません。
何故なら戦後教育で心を骨抜きにされたからです。
現在も未来もそれが続けて行くだろうとは思っています。

だから、憲法改正や徴兵制や、安全保障関連法案や、集団的自衛権行使をちょっとでも言うと、鷹派とレッテルされます。

レッテルだけならまだまだいいのですが、
左翼や共産党、共産主義者の攻撃対象にもされます!


日米安全保障条約は、日本が独立する時には、国軍は解体されて無防備で非武装でした。
時の総理大臣吉田茂が個人的に日米安全保障条約にサインしたのです。

まぁ~日本と日本人を守ってくださいよね。
非武装ですから致し方はございません。
ですが、アメリカ軍いわゆる進駐軍(GHQ)はサンフランシスコ講和まで約7年間も日本にいたのです。
それが今の令和まで駐留する結果です。

普通なら外国の軍隊が駐留し続けることは、もう侵略か隷下しているのと同じ構図ですからね。

日本に何年間も駐留し続けるのを、やめて欲しいと言った政治家は重光葵元外務大臣と、鳩山由紀夫元総理大臣の二人です。

鳩山由紀夫は、宇宙人ですので言ってる事とやってる事が支離滅裂なんで俺は相手にはしませんが、外国の軍隊が居続ける事が本来はおかしな事です!

アフガニスタンに約20年間も駐留してるってアメリカの傀儡のアフガニスタンですが、これも侵略と言っても過言ではなかったようです。

アフガニスタン人とタリバンがもういい加減に出て行けばと解放したのが歴史的勝利なんですね。

三島先生は、昭和45年に亡くなられました。戦後25年です。
先生が色々と文学以外に勉強されてきて、25年間が我慢の限界だったと俺は解釈しています。
この昭和の時代は冷戦のど真ん中でしたから、政治家を含めて自衛隊のバックに世界最強のアメリカ軍が居て当然だったわけです。

アメリカ軍が日本から撤退するのはほとんど不可能に近いのです。
横須賀港が無ければドナルドレーガン級の原子力空母は、サンディエゴ港まで帰らないと修理するドッグがないからです。

戦闘機や、輸送機、哨戒機のエンジンのブレードの修理交換も日本独自の技術もないと、本国まで帰らないと修理できません。     


沖縄県の海兵隊基地が、多い理由も中東、東南アジア、アフリカに展開するには一番早くオペレーションできるからです。

簡単に言うと、日本を守るのは二の次です、アメリカの国益に利用できるからです。


そのアメリカ軍が日本を守るって言う体裁にも我慢が成らかったと俺は思っています。

本来は、自分の国は自分達で護るのが当たり前なんです。

自衛隊は合憲ですが、軍隊ではないのです! 
戦闘は出来ても戦争は出来ない、こんな矛盾していますが、それが戦後から今日まで続いてる異常な平和国家です。

空気や、水が、当たり前に在って
平和も当たり前に普通に在る国ですし、テロの恐怖や銃による殺戮も無い安全な国なんです。

いわゆる平和ボケがわからんほど、国防や国益には無関心なんです。