幽体離脱

幽体離脱

暗いぞ。いいのか?

Amebaでブログを始めよう!

3年熟成させてみました。

 

もう誰も読んでないだろうな~~。

 

 

文章を書くことを仕事にしてからとにかく毎日何かしら書かなきゃいけない毎日なのでなかなか、ね。

優待離脱にまで手が回らない、ああほらもう幽体離脱ですら変換1位に出てこなくなっちゃってるねえ。

 

優待離脱って何だろうね。

離脱を優待してもらえること?

優待から離脱させられること?

なんとなく前者のほうが気が楽だね。いつ離脱してもいいですよって。あなたから優先して離脱を許可しますよって。

何からの離脱なんでしょうかね。カルマかな。あ、すごい、「かるま」って打つと「業」って変換されるね!

人間の業って人間のカルマって意味なんですね。深いね。

 

 

カルマって輪廻みたいなものだと認識していたんですが、今生が終わってあの世に行って来世での役割が決まって、え!来世サナダムシですか!寄生しなきゃダメじゃないすか!依存的で嫌だなあ、なんつっていろんな魂を何度も何度もこなして、もうこのメビウスの輪から解放されたいよ~来世決定くじでハラハラしたくないよ~離脱したいよ~っつってもなかなか解脱させてもらえなくて、解脱するにはなんか修行的なものをこなして涅槃の境地を目指す、みたいなのが仏教の世界観なんでしょ?いやわかんないけど。無宗教なので。

そのメビウスの輪のことをカルマだと思っていたんですが、業と変換されるのならきっと違う意味なんだろうなあ。

 

人間って業が深いね、なんて言いますけども、それって正確にはどういう意味なんでしょうね。

なんとなく、「罪深い生き物だね、でもそれこそが人間って生き物だからしょうがないよね」みたいな、人間の煩悩や欲望を正当化できる無敵の言い訳のように思っていたけど違うのかな。
 

 

まぁでも罪深き生き物であることには変わりないですよね。

 

 

 

 

なんか、人生ってほんとに変わるなって思いますね。

 

あんなに毎日ブチ切れてたってのに、今は愛知の片田舎で毎日ヤクルト400飲んで腸活したり花育てて枯らしたりしてるんですから。

 

でも平和を手に入れるとやっぱり失うものはありますね。

 

喜怒哀楽が凪になりますから、パッションみたいなものとか、「なんなんだ!人生ってなんなんだ!」って悶々と哲学的に熟考する場面を失います。

 

そうするとこうして書くことも変わってきます。

以前は閃いたことが閃かなくなります。

 

 

不幸でも閃きのある人生か、

平和で凡庸な人生か。

 

どちらかひとつしか選べないみたいですね。平和で閃きのある人生ってのは限られた一部の人しか手に入らないみたいです。

 

私としては人生の前半は不幸でパッショネイトだったので、後半はもう平和で凡庸でいいんじゃないかなと思っとります。

 

 

 

 

ところで、そろそろ賃貸も卒業してマイホーム買わなきゃなってんで、去年の12月に中古マンションを買いましてね。

 

でも愛知県には別になんの愛着も無いので「あの土地に住みたい!」みたいな目的が特にないとエリア選びもなかなか難しくて。東京なら「やっぱ下町ラブ」「足立区は嫌だけど葛飾区はアリ」「練馬区は嫌だけど荒川区は好き」「江戸川区よりは江東区」とかあるんですけどもね。

 

家を買うってことはもう私は基本的にそこで一生を生きて死んでいくわけですからね、「どこでもいーわ」ってのもなんかサミシイもので、割と土着して生きていきたい私はさてどうしたものか…と思案しながら賃貸で生活していたわけですが。

 

 

去年の1月くらいかな?中年太りもいい加減にしろよってなって、安いジムないのかな~って探しましてね。

ジムって東京価格だと月額7千円も8千円も取るじゃない?

こんなしがない物書きにそんな大金払えるわけもねえもんで、せめて3千円くらいのところないんかな~田舎だしさ~って探したら2800円のところを隣の市に見つけましてね。

 

車で20分くらいだからまぁいいかなってことで通い始めまして。

ジムあるあるだと思うけど、まぁほらいつも同じ時間帯にいる常連さんとか顔を覚えるようになってね。

私のことだからそこで仲良くなるとか挨拶するようになるとかはあり得ないんですけども。

 

 

「奥さんはあんなにスレンダーで美人なのに旦那さんはビールっ腹でなんとなく下品で、あれは不倫なのかな」とか、

「でも不倫で毎日ジム通いするわけねえか」とか、

「いや待てよこの後にシャワー浴びつつホテル行くコースかもしれんな」とか、

「でも不倫で毎日そんなことできないよな」とか、

「いや待てよ男は独身で女側が既婚ってパターンも考え得るよな」とか、

「女側が既婚で、旦那の帰りはいつも12時過ぎでほぼ顔も合わせないなら毎日不倫コースもできなくもないか」とか、

 

 

そんなことを思案しながら腹筋マシーンとかやるわけですよ。

 

 

そのうち、よく同じ時間帯にいるメンバーでそこそこのイケメンが目に付くようになりましてね。歳の頃はアラサーってところかな。

基本的に男に興味が無いので(語弊あるわね)存在を認識するまでに時間がかかったんですが、この辺ではあまり見かけない、東京人っぽいシュッとした男性だったので割と目立っていてですね。

 

あんなにスタイリッシュなのに毎日ジムに来ていて、いやそういう努力ありきでやっぱあのスタイルなんだろうな~すごいな~なんて思いながら見てたんですが、どうやらいつも友達と2人で一緒に来ているようで。

その友達もまた同じような外見で、シュッとしているわけですよ。

 

しかも、なぜか2人とも同じような恰好で、全身黒づくめ。

よ~~~っく観察してみたらなんとほぼお揃いなんですよね。同じTシャツ、同じ短パン、同じ靴、同じヘアバンド。

 

アラサーの男2人が毎日一緒にジムに来て、しかもジムで待ち合わせでもなく、必ず一緒に入ってくるのでたぶん同じ車に乗って来ている。お揃いのウェアを着て、なんならスポーツバッグにはディズニーで買ったに違いないキャラクターのマスコットが付いている。そこは同じキャラではなかったけど。

 

 

えーーーーと、友達??

いや違うよな。

 

えーーーーーと、兄弟???

いや違うよね…

 

 

 

これはもう腐女子大興奮のイケメンカップルなんじゃ……というワクワクの思いで(私はそこまで腐女子ではないけども)、もはや運動などそっちのけでこの2人に会うのが目的でジムに通い始めている自分がいたよね。

 

毎日毎日毎日、同じ時間に必ず一緒に現れる2人。

しかも、これ見よがしに必ずお揃いのウェアなもんだからもうジム会員さんたちに隠す気すら無いのだろう。

 

こんな片田舎で、よくお互いそんなイケメンの相手に巡り会えたわねええ!!良かったわねええええ!!!

なんておばちゃん喜んでたんですが、そこから不思議なことがどんどん起こりまして。

 

基本的に私は平日しかジムに行かないので、週末は近所のスーパーに買い出しに行ったり図書館に行ったりフラフラとあてもなく過ごしているんですが、なんと行けども行けどもこのイケメンカップルに遭遇してしまうんですわ…

 

ショッピングセンターでも。

ドラッグストアでも。

ユニクロでも。

なんなら車で走行していて何気なく対向車を見てたらその2人の乗った車だったり…

挙句の果てには普通に歩いていたら2人がアパートに入っていくところまで目撃してしまって…

 

意図しないストーキング行為ですよ。

 

 

2人はいつもとても楽しそうにお喋りしているので、あちらから私を認識されていることはないはずだけど、もし気付かれててストーキング行為として通報されたら言い訳の余地ないわね。

「あのスーパーでもドラッグストアでもユニクロでも。家の前にも来ましたよね?!」って言われたらもうなんも言えねえ。おばちゃんなんも言えねえ。お縄につくしかない。

 

同じアパートの住人ですら滅多に顔合わせないのに、一体これは何なんだ……とキツネにつままれた気持ちでおりましてね。

 

 

 

そんな不思議な日々を送っておったんですが、地道に続けていたマンション探しで、あれもイヤこれも気に入らないとわがまま言いまくって担当者を困らせていた中、ついに完璧に条件の揃った物件が出てきまして、担当者の男の子も興奮気味に「出ました!!いいの出ましたよ!!」ってすぐ電話くれて。

 

いい物件はとにかくすぐに動く!という鉄則を身をもって学んでいたので、「わかりやした!明日すぐ行きやす!!」ってんでハウスドゥさんに駆け込みましてね。

 

それで詳細を見てみたら…あのカップルのアパートのすぐ近くでねえ…

 

その時は私は隣の市に住んでいたのに、出てきた物件がよりによってそことはねえ…

 

 

でも。実際に見学に行ってみなけりゃまだ分からない。

 

周辺環境めっちゃ大事だし、住民の質も部屋の綺麗さもしっかり見定めたい。どうせ東京と違って土地に思い入れが無いのなら、周辺環境や家の中だけでも超お気に入りにしたい。

特に、新幹線の線路が割と近くだったので音と振動が気になってしまえば絶対に無理だと思って。

売り主さんとの相性みたいなものも絶対あるので、厳しい目をもって見学に行ったんですが…

 

 

もう何もかもが完璧でね……

 

 

「やっぱやめます」って言う理由がひとつも無くてね…

 

 

マンション前は遊歩道なので車はほとんど通らないけど道幅は広いので駐車しやすいし、角部屋だし、隣の人も上の階の人も一人暮らしで静かだし、売り主さんがとてもインテリアセンスのいい人だったから床や壁紙とかもそのまま継承できてリフォーム代かからないし、新幹線の音はほとんど聞こえなかったし。

 

 

 

 

 

 

……で、今そこのマンションで暮らしております、このストーカー。

 

近くにまで引越してきちゃってもう言い逃れはできないよね…

でも全部意図してやったことじゃないんだ!!!!本当なんだ!!!信じてくれ!!!!!!!

 

 

 

おかげさまで、最寄りのスーパーで相変わらずしょっちゅうイケメンカップルと遭遇する日々を送っております。今日も仲睦まじそうでなにより。

でもたぶん幸運なことに2人は相変わらず楽しくおしゃべりに夢中でたぶん私のことなど視野に入っていないはず。

 

こうしてこの土地で、2人と私は歳を重ねて生きてゆく。

3人仲良くやっていこうね。私はいつも2人を見つめているから………

 

 

 

あ、ちなみにジムは引っ越しと共に退会しました。ジムに行かなくてもいつでも2人に会えるから………

 

 

 

 

こんな暗くて更新の無いブログにも毎回目を通してくださる、ピグ時代に仲良くしてくださった皆さんのいいねが励みにになっておりますです。感謝感謝。

 

アメーバのサービスがどんどん終わっていってるようで、いつかピグも無くなるのかな~なんて思いますが、ピグ時代にいろいろ交流できて楽しかったですね。すごくいい思い出です。ありがとう。

いや別に死期迫ってるとかじゃないですよ。

 

 

 

 

 

歳を取るにつれ、趣味仲間との交流ばかりになっていくことを実感する。

 

というのも、若い頃は

 

 

 

「職場に使えねえ上司がいてさ~しかも45で独身でさ~キモイったらないよね~人に注意する前にまず髪植えろよ」

 

とか、

 

「仕事変えようかなと思ってるんだよね~転職はもう最後だから思い切って渡米しちゃおっかな~」

 

とか、

 

「ミネストローネに入れるのはベーコンかチョリソーかってことで彼氏とマジゲンカしたんだけどさ~」

 

とか、

 

「今度婚活パーティー行ってみようって言われちゃって~年齢詐称してもいいよね?」

 

とか、

 

 

 

あとは結婚とか出産とか、まだ不安定な人生にいろんな刺激や転機が訪れるので自然と話題も豊富になっていくからなのであろうが、いかんせん子無しババアになると生活に何の変化も訪れずに、今日も寝て食ってうんこしてパソコン打って食って寝るだけの生活で固まっていく。

 

そしてきっとそのまま80歳になって死んでいく。

 

 

 

そんなんだから友達と会っても話すネタが特に無いんだよね。

 

よくファミレスとかで実にどうでもいい話を延々しているババアグループがいるが、大抵は芸能人の話と病気の話と施設入居の話である。

 

とりあえず私は芸能人には興味が無いしまだ病気でもないし施設に入れるほどのババアレベルには上がっていないのでその話題で盛り上がるには時期尚早で。

 

 

 

だから、友達と会ってお互いの現状報告するには10年に一度くらいのペースで充分になってくるわけで。

10年分の報告だってきっと1時間もあれば充分事足りる。

 

 

そうなると、話題に困らないのは趣味仲間なんだよね。

 

 

 

私においては光GENJI仲間と宝塚仲間というわけですね。

 

花組の人事がどうのとか、今度の公演のクソっぷりとか、どの公演がどれだけチケ難だとか、話すことはいくらでもある。

 

ジャニーさんのお葬式に誰が行ったとか行かないとか。

今度は誰が脱退するのかとか。

うちは脱退コンサートやらせてもらったからいま考えると恵まれてたよねとか。

 

 

 

もちろん無趣味な人に比べたら充分恵まれた楽しいフレンドライフだとは思っているが、それだけでブサ子という人間の人生を終えていくのもなんだかもったいない気がしてね。

 

 

ビジネスの才も芸術の才もない私でも、この日本に爪痕残すためにもっとできることがあるんじゃないかと思ってる。

 

その一環として、宝塚ブロガーとしてのファンミーティングを主催・企画したわけですけども。

 

 

 

最近って、フェスが文化として定着したじゃないですか。

 

気志團とかアイデア勝負のミュージシャンが自分らのオリジナルイベントとしてフェスを開催したり、テレビ局が夏休みに局内で子供向けのイベント催すのもそれと同じですよね。

 

 

 

そういうのを、ブサ子プレゼンツでやってみたくなりましてね。

 

私がもってる知識でできることで世間から需要があるのって光GENJIよりは宝塚だろうということで、ファンミを決意しました。

 

 

 

それが果たして成功するのかドン滑りするのか分かりませんけども、やれるだけやってみようと思っております。

 

 

 

 

 

そしてそういう「非リアなりに人生もっと楽しもうよ!」という気持ちのひとつとして、もう少し人と関わっていこうかなと最近思う。

 

 

いや、もちろん人嫌いは継続中ですし、なんなら年々酷くなっていってる気もするんですが、でもだからこそ、そんな末期の私がたま~~~~に「この人とはもう少し話してみたいな」と思うような稀有な人がいるわけですね。

 

そういう自分のアンテナを信じて、深入りしない程度に人と接していこうかな、なんて思うわけです。

 

深入りすると私に情が生まれて絶対傷つくことになるのでね。

 

 

 

 

人嫌いってたいてい情深いんだよね~

 

いや、情深いから人嫌いになっちゃうんだよね~

 

自分が感じてるだけの情を相手は持っていないことに深く傷つくわけよね。

 

だからもう恋なんてしないなんて絶対言うわけです。

 

 

 

よく、ひどいクレーマーだった人が、ちゃんと話してみるとすごくいい人ですっかり仲良くなっちゃったみたいな話を聞きますが、それもその企業に愛情があるから叱咤になってたわけだしね。

 

 

愛憎は表裏一体なわけです、古今東西老若男女有象無象魑魅魍魎。

 

 

 

 

でも、私が「この人とはもう少し話してみたいな」と思うような稀有な人っていうのはたいてい情の浅い人なんですわ、これがまた。

 

なんでそうなのかって、私が「この人とはもう少し話してみたいな」と思うような稀有な人ってのはほぼ100%「対人スキル最高ランク」の人種なんですね。

 

いわゆる人たらしってやつですかね。

 

そういうタイプの人は相手を心地よくさせるプロフェッショナルなので、私に限らずみんなが「この人とはもう少し話してみたいな」と思うわけですね。

 

つまり、どんな環境でも友達に困らないわけで、相手に情をかけなくたっていくらでも人は寄ってくるわけで。

 

だから情が浅い。

 

 

一見こちらに気持ちが向いているように見えるけど、実のところは全然そうではない。

 

もちろん会ってるその瞬間は向いてるのかもしれないけど、あくまでその場限りのものであって、ま、光源氏的な感じよね。

 

 

 

だから、誠意と情に溢れたこちらはそれに気付くとひどく傷つくわけですね。

「えっ…一方通行だったんだ…」ってね。

 

 

 

でも私もそれなりに歳を取ってきて、人種別の対応術は学んできたつもりなので、昔だったら情の片思いに傷つきまくったけど、今は

 

「早く他の女のところに行ってあげなさいよ、待ってるんでしょ?」

 

とソファにけだるく腰かけてフランス映画なんて流してナッツをつまみながら送り出してあげるフリくらいはできるようになった。

 

 

 

それでも「いろんな人と会ったけど、やっぱブサ子さんがいちばん話しやすいし楽しかった」と帰ってくることを期待する自分がいないわけじゃないけどね。

こういう体質はもう家庭環境で作られていってしまうからね~嫌だけどそんな自分も受け入れるしかない。

 

 

 

一方で、人種別に対応術を持っている私もそれなりに人から

 

「居心地がいい」

「しゃべりやすい」

「楽しい」

 

と感じてもらえているようで、自分から誰かを誘わずとも予定が埋まっていくくらいは会おうと求められることが多いほうだと感じているが、皮肉なことに追われると逃げたくなるタチなので一生誰かと両想いに(恋も友情も)なることはないのだろうと、これもまた逃げられれば追いたくなる、追われれば逃げたくなるというのは真理なわけです、古今東西老若男女前後左右黒毛和牛。

 

 

 

 

結局さ、この世で起きてるすべての悲劇って「寂しさ」から来てるんだよね。

 

寂しいから浮気するわけだし、寂しいから精神を病んでいくわけだし、寂しいから子供を愛せなくて殺しちゃうわけだし、寂しいから相手を服従させようとするわけだし、寂しいから暴力振るっちゃうわけだし、寂しいから思想の違いを受け入れられないわけだし、それが戦争になっていくわけだし、寂しいからお金欲しくて盗んじゃうわけだし、寂しいから宗教に傾倒していくわけだし、、、

 

 

殺人が楽しいという先天性の脳のシステムエラーが出ちゃってる人以外の犯罪って、根本に「寂しい」があるわけですよね。

 

インスタ中毒とかもそうですよね。

承認欲求に飢えてるから、いいね餓鬼になるわけで。

 

 

その「寂しい」をバネにして大きな事を成し得る人もいるから、絶対悪ではないですけどね。

 

 

 

「寂しがり屋」なんて言葉がありますけど、特に若い時の恋愛ってそれを理由に相手を束縛しちゃったりとか、「私って寂しがり屋だから毎日電話かLINEくれないと無理~」なんつってね。

 

 

でも「寂しい」なんて気持ちは誰もが持ってる感情でしてね。

 

それをどうコントロールするかの違いで幸福バロメーターって決まっていくんだと思いますね。

 

 

 

家族からしっかり愛されてきた人は寂しさコントロールがすごく上手ですね。

寂しい時に「寂しいな~」って適切な相手に適切な表現で上手に言える。

 

逆に、自分が欲しいだけの愛情を家族からもらえなかった人はコントロールがヘタですね。

我慢しまくって臨界点超えたらとつぜん大爆発しちゃうとか、寂しさをぶつける対象を見誤ったり。

 

 

 

こんな暗い私もやっぱり人間ですので、できれば幸せに生きていきたいので、寂しさコントロールを一生懸命磨いてきました。

 

おかげさまでいろんな村人と話して中ボスとたくさん闘ってお金貯めて武器屋・防具屋で装備を充実させてきたので、かなりのランクにまでなったと自負しています。

回復の呪文がまだうまく覚えられないんですけどね。

 

 

 

 

なんだか哲学っぽくなってきましたが、私の夢のひとつでもある「哲学者になりたい」というのも寂しさコントロールの術の中のひとつなので、結びとしては満足です。

 

 

 

まぁとにかく、今日元気に煎餅かじってファンミの準備がんばろうってことですね。

 

今月末に大阪、11月頭に東京で本番なので、また報告しますわ。

 

 

宝塚ブログのほうがなかなか大変で幽体離脱にまで全然手が回らない現状。

 

そのおかげか、今年は宝塚ブログのほうで私のファンミーティング的なイベントを東京と大阪で開催する運びとなりましてね。

なんだかすごいことになっておるわけです。

 

今はその準備でバタついていますが、なんとなくこちらを更新したくなりましてね。

 

 

 

でも、やっぱりファンブログっていうのは書けないことのほうが断然に多くて、人間関係は広がれば広がるほど面倒でややこしくて、私は一体どこへ向かっているのだろうなあ、という気持ちもあったりする。

 

人嫌いは一生直らないんだろうなあ~。

 

 

 

今年の初めには週刊朝日さんから取材を受けて宝塚ご意見番みたいな偉そうな立場で誌面に出たり、それがきっかけでテレビ番組出演オファーが来ちゃったり(諸々の条件合わず)、なんだか人生分からんなあみたいなことになってます。

 

 

もちろん楽しいことやエキサイティングなこともありますけども、若い頃みたいに夢中になるようなことはそうそうないのが現実でねえ。

 

宝塚はもちろん好きだけど「夢中」とはまた違うかな。

 

「興味深い」止まり。

 

 

 

恋愛に少し似てるかな。

 

のめりこむほど人を好きになれることはエキサイティングだけど、同じくらいしんどくもある。

 

 

宝塚が好きで好きでのめりこんで年間数百万円をチケット代に費やしてた頃はすごくエキサイティングだったけど、想いが強すぎてしんどくもあった。

 

 

 

 

なんか、人は老いていくほどに「ときめき」を感じにくくなるらしい。

 

 

確かにそれは顕著に感じている。

 

前はもっと趣味がたくさんあったし、好きな音楽も好きな映画もあったし身近に好きな人も誰かしらいた。

 

 

でも、若い頃は世間知らずゆえに恥をかくことも多かったし、自分が幼すぎて人を傷つけたり迷惑をかけたりする罪悪感もしんどかった。

 

 

 

あのころに比べれば今はなんと平和なことか。

 

 

そこそこ健康な身体があって毎日好きな時間に起きてちょこちょこっと仕事をして、「あ~外暑そうだな~」とか窓の外を眺めて、気が向いたら運動しに出て週末は近所に出かけて。

 

 

これが人間として理想的な中年期なのだろうという自覚はあるので私は恵まれているなあとは思うけど、あのエキサイティングな感覚も懐かしかったりする。

 

 

 

そのせいか、いつもいつも同じ夢を見る。

たぶん月2ペースで見ている。

 

 

登場人物とシチュエーションは決まって同じで、私が21歳~25歳まで付き合っていた8歳年上の元カレである。

 

 

8歳も年が離れた相手というのも私史上最高年齢差だし、起業家だったこととか、男尊女卑傾向にあったこととか、顔がとても整っていたとか、とにかく私が出会ってきた男性の中でダントツに異色の存在だった。

 

 

いま冷静に考えてみると21歳の大学生に手を出す29歳の男ってちょっと引いてしまうが、私みたいな個性的な若い女と一回くらい付き合ってみたかったのかもしれないな。

 

あちらは大学生を相手にする仕事をしていたので、女子大生なんかとは何百人と出会っているし、どう見てもモテてきたであろうあの人がその中で有名校でもないしミスキャンパスでもない私を選んだことが今となっては非常に不思議だ。

 

 

 

私も実家暮らしで母親とはいちばん険悪な時期でメンタルが非常に不安定、中身もまだまだ幼くてわがまま自己中自分本位だったと思う。

そして相手も男としてはまだ未熟で女性の扱いも知らず、起業しようか悩んでいたりしてお互い不安定だったのだろうと思う。

 

私の性格上、怒鳴り合ったりする喧嘩はしないけどお互いが自分本位だし、そもそもその自覚すらない2人だから当然喧嘩も多かった。

 

それでもなぜだかお互いに「好き」という気持ちは薄れなくて、4年交際が続いたのは自分でもかなり驚きだった。

もしかしたら気の迷いだったのかもしれないが「お前とは結婚を考えている」みたいな言葉をもらったこともある。

 

 

 

でも最終的にはやっぱりお互いの自分本位がぶつかり合って、私があちらを徹底的に怒らせた。

 

もともと男尊女卑傾向にあった人なので、そのプライドに触れてしまったのだろう。

 

俺を馬鹿にするな!!!みたいなことになってしまい、物理的にも精神的にも彼の人生から追い出された。

 

 

かく言う私も4年経って「飽きっぽい」という自分の悪いところが出始めていた頃で、相手に少し飽き始めていたという事実もあった。

 

そのせいで相手を優先しない行動が出始めて、あちらがそれに気づいて激怒したのだろう。

 

 

 

今となってみれば、「自由でいたいブサ子」と「俺に従え」のあの人がうまくいくはずもなく、結婚なんてとんでもない。

 

いずれ別れの日は必ず来ていただろうなと冷静に思えるし、現在のあの人の起業家人生をこそっと垣間見てみると、とてもじゃないけど私は寄り添えなかったなあ、と胸をなでおろすのも事実で。

 

 

 

そんなことはもう重々分かっているけど、あんなに好きになれる人はきっともう一生出会えないのだなと思うと、あの頃の「会いたい」というパッショネイトな気持ちを取り戻したくなってしまう。

 

いま、「会いたい人」って…特にいないもんな。

 

 

 

 

そのせいで、「あの人とやり直そうとしている夢」をもう何百回見ただろう。

 

 

決まって私は夢の中で、あの人にもう一度出会えたことと「やり直そう」と言ってもらえたシチュエーションに大感激している。

 

「この人のことがとても好きでずっと横にいたい、触れていたい」と思える自分の感情が懐かしくて、まさにあの頃のエキサイティングな気持ちを取り戻している。

 

 

 

そして、目が覚めた時の「なんだ…また夢か……」という虚しさまでが必ずセット。

 

「楽しい夢だったな~♪」なんて気持ちは微塵もなく、ついにあの人を取り戻した!!と思ったのに夢だったという虚しさはもう何百回経験しても慣れない。

虚しすぎて泣いてしまう時もある。

 

 

 

なぜ私はこんなにもあの人が忘れられなくて、なぜいまだにこんなに好きなのかさっぱり分からない。

 

いま思い出しても酷いことたくさん言われたし、人として男として非常にどうかと思う。

 

もちろん暴力暴言なんてないし彼なりに思いやってくれたけど、とても恵まれた環境で生きてきた人なので私の苦しさを馬鹿にしているところがあって、「成人した大人がいまだに親とうまくいかないなんて甘えてるだけだ」と言われちゃったりね。

 

相手の肩に自分の肘でも乗せようものなら「俺の肩は物置きじゃねえんだよ」とか静かに睨まれたりね。

 

 

アラサーの男としては、とても心と視野の狭い人だった。

しかもモテてきた人って自分を向上させる必要がないから余計に女性の扱いがぞんざいだよね。

 

 

それなのに、なんでこんなに好きなのか、単なる執着なのか、オスとして異様に私のメスの部分に迫るものがあったのか、もう全然さっぱり分からない。

 

 

 

私はきっとこれからも、60歳になっても80歳になってもこの気持ちと共に生きていかなくてはいけないんだなあと思うと、どうしたもんかなあと少し心配になる。

 

それとも、死ぬまで心の中にずっと好きな人がいる、ときめきがある、と喜ぶべきことなのだろうか?

 

 

でもその一方で、いい歳した中高年が不倫やらの恋愛感情のもつれで事件が起きただとか聞くと「学生気分かよ馬鹿馬鹿しい。いい歳して落ち着け!」と思うし、人間にとってのときめきの温度って何が正解なのか分からなくなってきた。

 

 

 

そのときめきを自己生産しようと奥様方はこぞって宝塚やらジャニーズやら韓流やら演歌歌手やらに胸を熱くしてるのでしょうけど、そういうときめきはもう私が欲してる類のものではないんだよなあ。

 

それらはあくまでエンタメであって、「この人が欲しい」という気持ちとは全然別物で。

 

 

 

でも、もし私の願いが叶ってあの人にもう一度会うことができたら、きっと今の私なら「なんだ、この程度の男だったのか…」と自分の妄想に気が付いてしまう気もしないでもない。

 

自分がまだ若くて観察力がなかったからこそ自分の中で勝手に理想像を作って目をキラキラさせてただけという疑いもかなりある。

 

その答え合わせをしたいような、してはいけないような…

 

 

 

でもたとえ思い込みだったとしても、あんなに人を好きになることはもう二度とない。

 

そういう経験ができただけでも幸運なんだろうな。

 

 

 

 

そして起業した会社を軌道に乗せて今もやり手社長として活躍するあの人を検索すればいろんな媒体で見ることができてしまうわけで、老けもせず太りもせずハゲもせず十数年前とほとんど変わらないいい男ぶりを披露している姿は、「私が本当にこの人の元カノだったのだろうか」と思ってしまうほど眩しい。

 

きっと美人で賢い素敵な女性と結婚して可愛いお子さんをもうけているのだろう。

あの姿なら変わらず女性からの視線も集めているだろう。

 

 

もう私みたいなアホ女のことなんてあの人の記憶から消し去ったんだろうな…なんて思うと、大都会でキラキラしたリア充人生を生きているあの人と、見たこともないような虫が道を這う田舎で毎日化粧することもなくこうして自宅でカタカタキーボード打ってお菓子食って腹ぶよぶよさせてる私の人生があまりも落差が激しすぎて…

 

本当にこんな私とあの人の人生が重なり合う瞬間があったのだろうか…と信じがたい気持ちになってしまう。

 

 

今やリア充代表と、ひきこもり代表みたいな2人が一緒に過ごしたあの4年間に戻って確かめたい、という気持ちが私にこんなにもしつこくあの夢を見させているのかもしれない。

 

 

 

でも、あのときと今、どっちが幸せ?と訊かれれば、もう100%今のほうが幸せであることもまた間違いない。

 

私は微妙に女性側に片脚重心を置いている両性具有種だという自覚があるほど女性らしさがほとんどないが、あの人のことを思い出す時だけは「女心って複雑だなあ~」と実感する。

 

今や老若限らず男性にはまったく興味が無いし、むしろ女性のほうに興味がある時期に差し掛かってきているが、あの人だけはやっぱり特別なんだなあ。

 

 

 

なんていう気持ちをどこかに吐き出したかったので、久々に更新してみました。

 

 

放置し過ぎて誰も読んでくださってないだろうけど、やっぱりこうして吐き出せる場所があるのって大きいね。

 

さ、仕事しようっと。