このことを書くと不満を持たれる方、心配される方多数いらっしゃると思います。

それだけに書くのが躊躇われますが、読んでくださった方にも考えていただきたく問題提起の意味も込めて書き進めることにします。

それは…里親をしている方には何かしらの宗教を信仰していらっしゃる方がいると思うのですが、私が知り合った里親さんの方の中である宗教活動を生業としていると思われる方がいらっしゃるということです。

因みに我が家は特定の宗教と信仰していません。ですから神社仏閣巡りをしたり、クリスマスイベントも楽しみます。

しかし里子ちゃんにとって預けられた先が宗教活動に熱心な里親家庭さんで、宗教活動のために特定の日にレスパイトを取得されるようで、その度に他の里親家庭に預けられるケースに出くわしました。

里親が何かしらの事情でレスパイトを取ることは認められていますが、里子ちゃん側にしたらそれなりの頻度で他の里親家庭に預けれれることになるというのはどんな気持ちなのかと。特に小さい子どもさんであればあるほど。

特に去年は宗教2世問題などの問題が明るみとなり、日本では信仰の自由が保障されているとはいえ知らず知らずのうちに里子ちゃんが育つ環境に特定の宗教が当たり前にある生活っていかがなものかと。

もし養育里親のなり手が少ない部分をこういった方々の善意で補っていると考えてよいのかどうかも含め見過ごせないと感じました。

とにかくコロナ禍からようやく抜け出せた去年、我が家は今は一時保護ばかりで児童相談所の方は長期委託に手が回っていない状況だという説明を受け、ならばと来るかどうかわからない委託打診の電話を待ち、この地域には里親を必要とする子どもさんが〇〇人いますと書かれたラッピングバスを見ながら、我が家が今手が空いていますよと心の中で何度つぶやいたことか。

これ以上は専業主婦で委託待ちをしていても仕方ないと諦めパート勤めを始めたら一時保護の委託依頼の電話があり、預かり見通しがきかないことから泣く泣く断ったったこともありました。

いつ一時保護の連絡が来てもいいようにとそれに備え携帯電話が手放せず、金曜日や連休の前日に比較的多い連絡が来るのではとそわそわしたり。

また一時保護は連絡のあったその日に受け入れのため、常に受け入れができるように部屋を片付けて置いたり布団の準備がすぐできるようにしたり配慮していました。

一番申し訳なかったのは実子達に受け入れても良いか相談することもできず、実子達が帰宅して目の前に現れた里子ちゃんにぎょっとすることもありました。

乳児さんであれば実子達もお世話慣れしていて戸惑いませんが、里子ちゃんが1歳以上にもなれば会話したり遊びに付きあったり、コミュニケーションを取りお互いが何を考え何を必要としているのか、一から関係性を作らなければならなかったり、そもそも相性が合う合わない、発達特性や個性がどんな子なのかという根本的な問題もありました。

家族でどう接したら良いか話し合いそれぞれが考え工夫や努力をして折角慣れたと感じたり、もう少し仲良くなりたいと思った頃にはお別れ。

大人の私でも大変なことを実子達もやらねばならず心身ともに負担になっていたのは事実です。

表現が適切ではないですが私はある意味里親として即時対応・体制が求められた一年だったと思っていますし、本来の里親ってそういうものなのかと疑問を深めていきました。

ではどうしたら良いのか…

本音を書きます。

我が家の様に実子のいる家庭は家族を巻き込み様々な個性、背景、特性を抱えた子どもさんを受け入れるのが里親なのだとすると、家族皆で研修を受けたりスキルアップも含め適正かどうか判断される必要があると思います。

また認められた場合にはそれなりの社会的な評価やフォローがいただけてもいいのでは思うのですが…