おはようございます。

死産に関するブログはもっと簡潔に書くつもりだったのに、とても感情的になってしまいました。読み進むのが辛くなった方もいるかもしれません。

申し訳ございませんでした。

この話について、今回で終わりにします。

 

産声を聞くことができない出産がどれだけ辛く寂しいものか。医療者の皆さんが掛けてくださる言葉や雰囲気からも感じることができました。

赤ちゃんはとても小さな小さな男の子で両手ですっぽり収まってしまうくらい。

皮膚も薄く少し触れただけで破れてしまうと看護師さんから言われ、かわいそうで私はほんの少ししか触れることしかできませんでした。

処置を終え病室に戻ると赤ちゃんの今後についての話があり、退院までに急いで棺となる箱を用意すること。お菓子の箱でもいいですとのことでしたがそれはいくら何でもと考えた夫が必死で小さな棺を探してくれました。また他には亡くなった人と同じように火葬をして、埋葬許可の手続きを取ること等の説明があり、夫は悲しみに浸る時間もないくらいやることに追われることに。

私は体の回復をとのことでしたが、体を休めるどころかベッドの上で第1子の事を気に掛ける心の余裕がないくらい後悔や罪悪感でいっぱいいっぱいになっていました。

退院前夜は一人で病室にいることが耐え切れず、看護師さんにお願いして夜中に夫に来てもらい赤ちゃんと3人で朝まで過ごしました。

退院時は外来患者が行きかう出入り口ではなく、医療関係者専用の出入り口から棺を胸に抱き帰りました。

自宅に向かう車中、棺の中の赤ちゃんにお母さんのせいで外の世界を生きて見せてあげられることができなくてごめんねと何度も何度も心の中でつぶやきました。

その後はあっという間に火葬が終わり、家族で葬儀を済ませました。

両親が私の入院中第1子を預かりお世話してくれていたのですが、さみしがることもなく寧ろ祖父母との生活を楽しんでくれてたそうで、久しぶりの親子の再会にもかかわらず第1子は私に塩対応。

でもそれでよかったと思いました。さみしかったよお母さんなんて言われて抱き着かれたら申し訳なさで更に罪悪感を感じ自分を責めてしまっていたかもしれません。

赤ちゃんを亡くした寂しさを胸にしまい第1子のためにも立ち直り、頑張らねばと思うことができました。

因みに死産の原因は抗リン脂質抗体という自己抗体が何かしらの理由で自分自身の正常な細胞を攻撃してしまい血栓症や不育症に繋がったのではないかとのことでした。

その後の第2子、第3子の妊娠が分かった際は処方された薬を飲みながら無事出産することができました。

この経験から、月並みな言葉になりますが命の尊さを実感し、当たり前など何一つないのだということが身に沁みてわかりました。

赤ちゃんを妊娠すること、無事お腹の中で育つこと、元気におぎゃーと産まれてくることその一つ一つのステップが必ずしも上手くいくとは限らないこと。そして奇跡の連続でようやく赤ちゃんを抱っこすることができるんだというその重みに気付いた私としては、自分の事も赤ちゃんの事も大事にする、大事にできる女性や世の中であって欲しいと願うのでした。