ネタバレになるので映画を見る方は読まないでおいてください。
イタリアのトスカーナ地方 朝霧に煙る 田園風景に男と女が車で到着する。モスクワから来た 詩人 アンド レイゴルチャコフと通訳のエウジュニア 。旅から戻りロシアで自殺した音楽家サフノスキーのイタリアでの足跡を2人で追っている。
アンドレイの体は病に冒されている。
イタリアの温泉地 パーニョヴィニョーニで狂人のドメニコ に 出会い 世界の救済を求めていく。というのが パンフレットにのっている ストーリーの要約です。
はじめに イタリアのトスカーナ地方の 朝霧のけむる 田園風景 って 主人公 アンド レイの 故郷の風景と重なっているんではないでしょうかな。
また 霧の中の風景は 映画 「惑星ソラリス」で
主人公が思う 地球のシーンと同じく 霧で包まれているのがふるさというもののイメージだと思われ まさしく それが ノスタルジア だと思うわけです。
主人公と通訳との関係が愛人のようで 愛人でないのはアンドレイの不治の病 も関係してるわけでもしかしたら アンドレ イは死に場所を探しているのかも。よってより深いつながりは持ちたくないのでしょう。だから映画のポスターの去っていく エウジュニアの場面は生の別れじゃないですかな。
あと狂人のドミニクの家が天井に穴が開いて 壮大に雨漏りをする シーン。そこに犬がいるのは あれは 映画「 ストーカー」のワンシーンのような気がします。
もしかしたら このノスタルジアは タルコフスキーの集大成 なのかもしれません。
ドミニクの家に書かれていた1+1=1。
これをスライムで考えるとスライムを1とスライム 1を足したら大きなスライムの1になるみたいな。旧エヴァンゲリオンの劇場版の最後 白い巨大な 綾波が出てきて人類をみな一つにしていったようなそれが黙示録的な人類の救済であると考えます。
ドミニクが最後 演説 の後に 焼身自殺するのは神に捧ぐ 生贄が必要だったのですかな。
そこはもう一つ よくわからないんですが。
また アンドレイがドミニクに託された温泉でろうそくの火をつけて 端から端にろうそくを持っていく行為は人生そのものだったのかもしれません。途中でろうそくの火が消えてまた端に戻り そこからやり直してろうそくの火をつけ 消えないようにコートでおおいながら最後やり遂げた後 アンドレイが静かに死んでいく長めのシーンは詩的な感じがします。あまりにシーンが長いのでろうそくが消えると 私はつい溜息をついてまたはじめに戻るのかよ と悪態をついてしまいました。
自分の文章を読んで なんかよくわからなくなってきましたな。笑
途中 アンジェラという女の子が突然出てきますけど あれは天使なんですかなそれとも悪魔?
ちょっと頭が痛くなってきました。笑