<2023年7月15日17時07分>

帰宅してから約1時間が経過し、冠水した道路の水は、

徐々に濁り、水位が上がって行きました。

水面の縞々は「油」です。

 

先ほどまで見えていた横断歩道は全く見えなくなりました。

それだけ水位が上がったのと、水が濁ったためだと思われます。

 

向かい側の高校のグラウンドは全面水浸し。

付属幼稚園の小さな畑も水に浸かって来ました。

ブロック塀の2段目あたりまで来ていましたので、

40cmくらいにはなっていたと思われます。

 

この頃で玄関の2段目まで水に覆われて来ました。

既に「床下浸水」にはなっており、

このまま「床上」まで来てしまうのか、ハラハラしながら

ただただ状況を見ていることしかできませんでした。

 

「油」に混じって「ゴミ」がかなり浮いています。

濁り方も、川の水による「外水氾濫」ではなく、

下水が行き場を無くして上がって来る「内水氾濫」であることが

水の色や臭いや漂流物によって分かりました。

 

木製の簀の子のようなものが流れて行きます。

つまり水の流れが、手前から向こう側へ向かっていること、

向こう側の方が少し低いことが分かります。

音は何も聞こえず、ただ風の音だけが聞こえ、

無音の街がヒタヒタと水没して行きました。

 

道路との境界のフェンスの土台が隠れそうな高さまで来ました。

 

家の基礎部分はすっかり見えなくなり、

床上まで来るのは時間の問題・・・と覚悟を決めるしかありませんでした。

 

2階の窓から見下ろしている道路を歩いて行く人たちがいました。

膝くらいまですっぽり隠れていますので、

40~50cm程度だったと思います。

この時点で雨は殆ど降っておらず、

あたりは音もなく不気味な静けさで、そこをチャプチャプ歩いて行きます。

見ず知らずの方々ですが、

「道路の端は側溝があって危ないから、なるべく真ん中を歩いた方がいい!」

と上から声を掛けました。

 

その頃、家の中はまだこの状態。

家具類などを「寄せ始めて」はいましたが

「寄せ切って」はいませんでした。

心のどこかに、「このくらいで収まって欲しい」とか

「床上までは来ないで欲しい」という気持ちがあったことも確かです。