<2022年9月7日>

福島市中心部の福島県庁周辺の朝の散歩。

阿武隈川の支流である「荒川」の河川敷に出て、

「信夫橋」のたもとに来ました。

「奥州街道」の標柱と「福島城と城下町」の立て看板があります。

 

「江戸口」の解説です。

福島城側から見ると、このポイントは江戸から来た入口で、

「江戸口枡形」があった場所でした。

 

道路を渡って、信夫橋の向こう側のたもとには小さな祠があります。

 

「柳稲荷」です。

貞享年間(1684~1688年)に荒川の氾濫で町が流失寸前になったときに

稲荷のご神体が流れて来て人々を救ったという伝説でした。

なぜ「柳」なのかは不明です。

 

祠は何と朱塗りの鉄柵で守られおり、その隣に古びた石碑があります。

これだと、ちっとやそっとの洪水でも大丈夫そうですし、

石碑の方の文字はかすれて読み取れませんでした。

 

その先には、堤防を封鎖するんでしょうか

「柳町陸閘」なるものがありました。

「閘門(こうもん)」は洪水などを防ぐために水量調節をする

水門のような意味だと思いますが、ここは「陸」です。

向こう側の川の水量が上がってきたときに、これを閉じて、

堤防の内側への流入を防ぐのが目的とみられ、

よほど洪水に悩まされて来た地形であることが分かります。

 

この「陸閘」を操作できるのは、伊藤さんと蓮沼さんと

決められていました。