23年半前の1999年9月30日午前10時30分、

茨城県東海村の核燃料加工施設JCOで起きた臨界事故。

そういえばそんな酷い事故があった、とは思いつつ、

知っていること、記憶に残っていることといえば、

詳細は殆ど知らないのが実状でした。

 

 被爆~邂逅~転院~被爆治療チーム結成

 ~造血幹細胞移植~人工呼吸管理開始

 ~妹の細胞は~次々と起きる放射線障害

 ~小さな希望~被爆59日目~終わらない闘い

 ~1999年12月21日~折り鶴

 

つまり被爆した瞬間から、命が尽きるまでの

治療経過や関係者の心情も含めたドキュメントです。

 

結論は・・・

【放射線の恐ろしさは、人知の及ぶところではなかった。】

というもの。

 

その後、東日本大震災の福島第一原発の事故が起きますが、

実は、我が国初の臨界事故は、同じ福島第一原発で、

45年も前の1978年に起きていたのも事実です。

 

人知が及ばないモノを、何とかコントロールしようと

右往左往した結果、いまだに人知は及んでいません。

いろいろ考えされられる内容の本でしたが、

これも古本屋100円均一コーナーでの掘り出し物でした。

 

【2023年2月28日 読了】