<2022年7月1日>
伊達政宗の廟所である「瑞鳳殿 本殿」に来ました。
なかなかの豪華さです。
この本殿の両脇を固めているのが「殉死者」たちです。
主君が亡くなったときに、家臣がその後を追って
自ら命を絶つことが美徳とされていた時代があります。
伊達政宗の場合は家臣15名、家臣に仕えた陪臣5名の
計20名が後を追ったそうです。
配置はこの通り。
殉死そのものは無駄死にに思えますが、普通に葬られるよりは
何百年も経っても、こうして主君と一緒に名前が残ることになります。
「伊達政宗公の霊屋」瑞鳳殿です。
「独眼竜政宗」の異名を持つ伊達政宗は米沢藩の生まれ。
江戸時代は伊達62万石の藩祖として今の仙台の礎を築きました。
政宗は生前から、ここ経ヶ峯を墓所に決めていたようです。
寛永13(1636)年5月24日に江戸で生涯を終えたとあります。
この記事を書いているのは2023年1月23日ですが、
実は2日前の21日朝、私は東京の日比谷公園を散歩していました。
そのときに見つけたのがこの看板で、仙台藩上屋敷があった場所が
何と日比谷公園でした。