<3月29日>
足の向くまま気の向くままのドライブでまず訪れたのは、
福島県会津地方の磐梯山の麓でした。
約400年前の会津藩と伊達藩の戦いの痕跡を追って、
「三忠碑」から「佐瀬大和守種常之碑」へ。
ここまで来たからには「ついでにもう一人」も訪ねてみようと、
流橋のたもとの家で作業中の住人に場所を尋ねました。
「小学校前の十字路を左に曲がって、しばらく行ってから右」とのこと。
何もない田んぼ道で一瞬不安になりましたが、
そこだけ木で覆われた一角になっていて、すぐ分かりました。
石碑とその解説板があります。
磐梯山をバックにひっそりと建つ古びた石碑。
「佐瀬平八郎常雄之墓」です。種常の養子の息子。
会津藩芦名家四天王の一人である「冨田美作」の二男として生まれ、
のちに四天王のもう一人である佐瀬大和守種常の養子となり、
1589年の「磨上原の戦い」で伊達軍の前にこのあたりで討ち死に。
討ち死にした場所がお墓になって、
いくつかの石碑が建っています。
「馬頭観音」塔もあって、遥か後方には磐梯山の姿が見えました。
最初に訪ねた「三忠碑」から派生して、
関連する二人の武将の墓も見つけることができました。
遥か400年以上前にあった「兵どもが夢の跡」です。