<9月13日>
岩手県奥州市水沢の「高野長英記念館」めぐり。
長英が生涯で辿った「足跡」が地図上に示されています。
ポイントは水沢、江戸、長崎ですが、全国各地を廻ったことが分かります。
とくに影響を受けたのが「シーボルト」。
長英を顕彰する様々な資料が並び、映像でも紹介するコーナーです。
子供達からのメッセージもありました。
アメリカの商船モリソン号をめぐる幕府の対外政策を批判した「夢物語」。
「足跡」を一覧にした略年表があります。
20代前半でシーボルトの鳴滝塾に学び、
シーボルト事件が起きたのが1828年。
この頃20代後半に入った長英は漢学者の廣瀬淡窓を訪ねています。
大分県日田市にある「廣瀬淡窓記念館」を訪ねたことを想い出します。
点と点が繋がる気分でした。
左は「二物考」で、凶作から庶民を救うために早蕎麦と馬鈴薯の栽培を
奨励しました。
しかしながら幕府を批判したとして「蛮社の獄」で囚われの身となり、
小伝馬町の牢に入れられることになります。
その牢の火災で脱獄、その後は潜伏をしながら日本全国を転々とし、
最期は捕まって自刃するという生涯でした。