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<7月15日>
 
 大船渡市から大船渡湾沿いに走り、いったん山道に入ってトンネルを抜けると、陸前高田市に入ります。
 
 ほどなく見えて来た海は広田湾。
 
 照明塔が4本立っていて、ここが球場だったであろうことが、かろうじて分かります。
 
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 あたりには、まだまだ瓦礫が残されていました。
 
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 もちろん懸命の撤去作業は続けられていますが、あちこちに 「 山 」 が残っています。
 
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 その瓦礫もさることながら、むしろ深刻だと思ったのは、この水たまりです。
 
 さきほどの球場に向かって、少し近づいてみると、周りは一面の水たまりで、これ以上近寄ることができま
 
せん。
 
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 まるで、以前からあった広い沼のようになっていますが、たぶん震災で地盤が沈下して、そこに海水か雨水が
 
たまっているものと思われます。
 
 「 沼 」 の遥か向こうに防潮堤のような境目が見えます。
 
 そもそも、このへんは 「 高田の松原 」 と呼ばれる風光明媚な松林が拡がっていて、海は見えなかった場所の
 
はず・・・。それが、すべてなぎ倒されて瓦礫と化し、地盤沈下で広大な水たまりになってしまっています。
 
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 国道45号線高田バイパス。
 
 海側は松林が消滅、山側 ( 市街地側 ) は、見た目では 「 あの山の麓 」 あたりまで津波が押し寄せて行った
 
らしく、平面の、同じ目線の高さには何も残っていません。
 
 早朝から、八戸を皮切りに三陸のリアス式海岸を南下して来ました。どこもかしこも酷い光景を見ては来まし
 
たが、大船渡や陸前高田は街自体の規模の大きさと、市街地の広さからして、被害の甚大さに言葉を失い
 
ました。