
<7月15日>
国道45号線を通って大槌町へ入り、確か途中でバイパスを通らずに一般道へ入ったような気がします。
いずれ、このあたりが大槌町の中心部・・・だったであろう場所で車を停めました。
町役場が津波の直撃を受けて、町長はじめ役場職員のかなりの人たちが犠牲になり、行政機能がマヒしたこと
で知られた町です。
話には聞いていたものの、実際に現場に立ってみると、役場どころか、どこに何があって、残っている建物が
何なのかも良く分かりませんでした。

あの山のふもとのあたりまで、何にもありません。

缶コーヒー、ペットボトル、花束・・・犠牲者のために供えられたものが、風雨に晒されていました。

「 カネマン 」 という看板は、形や大きさからして、たぶんパチンコ店。
これも直撃を受けて、躯体だけがかろうじて残っている状態です。

さらにカメラをまわしてみても、見えるのは、破壊され尽くした街の無残な姿だけでした。
人もいない、車もほとんど通らない、動物もいない、要は動くものがほとんどありません。

一般家屋は、土台だけが残っていて、かつてここに家が建っていたことが、ようやく分かります。

そんな中で、ここの一角だけが、別の意味で賑やかでした。

ボランティアの方々でしょうか、多くの人が、自分の思い思いにいろいろなものを集めたり、書き込んだりして
慰霊の一角を創り上げたような感じです。

でも人は誰もいませんでした。
あの先の先まで、人っ子ひとりいません。
被災地を歩いていると、だいたいどこへ行っても多かれ少なかれ祈るしかなくなりますが、こんなふうに、
目に見える範囲内に動くものが殆んど見えない空間に立っていると、背筋が凍ってくるような気持になります。
そしてやっぱり、ただただ、祈るしかなくなります。