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<7月15日>
 
 船越湾沿いに国道45号線を走って、山田町から 「 大槌町 」 に入りました。
 
 シャケ(?)の背中に打ち出の小槌が乗っかったシンボルマークです。
 
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 このあたりは、海岸のすぐ脇を国道が走っています。
 
 津波でズタズタに寸断された道路は、現在も復旧工事中。
 
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 国道の山側には、「 浪板第2団地 」「 浪板第3団地 」「 吉里吉里第2仮設団地 」「 吉里吉里第3仮設団地 」
 
の標識。ここも、元々家があって流されたのか、空地だったのか、分からないほどになっています。
 
 1980年代に、ミニ独立国ブームの火付け役になった 「 吉里吉里国 」 が、まさにこのあたりです。
 
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 もう少し先まで車を進めてみると、よくTVの映像で目にした光景が飛び込んで来ました。
 
 浪板海岸にある 「 浪板観光ホテル 」 の変わり果てた姿です。海岸線の傾斜を利用して建てられたホテルは
 
少なくとも2階までは完全に破壊されています。
 
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 海と同じ高さの松林は残っていました。
 
 ホテルの周囲はロープが張られて立ち入り禁止。宿泊客の避難を最優先にして、ホテルに残った社長や
 
従業員の方々が犠牲になった現場です。
 
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 あの瞬間に宿泊していて、ホテル側の的確な誘導で全員無事だった秋田県五城目町の方々から、復興を祈る
 
記念の桜の木が植えられていました。
 
 今なお残る凄惨な現場に立つと、生と死の境目を見るような思いで、ただ手を合わせるぐらいしかできません
 
でした。