
<1月6日>
早朝の小田原散歩。
小田原城の本丸まで登り、「 猿の檻 」 のさらに奥、天守閣が見えて来ます。朝日に染まって薄赤く輝く姿。

「 小田原評定 」 の言葉が生まれた豊臣秀吉の大軍と相対して、籠城戦を戦った象徴的な建物です。
RC造りで復元されたものですが、すっきりしたいい形。

朝7時30分頃ですから、登城口はまだ開いていません。
高い石垣の上に聳える天守閣をしばしの間、眺めておりました。

現在残る小田原城址公園は、さほど広大な感じは受けませんが、実際の小田原城は相当広いものだったこと
が、本丸下にある 「 小田原合戦攻防図 」 で分かります。

小田原市内の北東側を流れる 「 酒匂川 」、南西側を流れる 「 早川 」、南東方面は相模湾、北西側は山に
なっている地域のほとんどの部分が小田原城の敷地でした。つまり、小田原市の街並みの大部分。これは相当
な広さです。豊臣秀吉といえども、この城を落城させるのに3ヶ月余りかかったことが納得できる広大さ。

そんな小田原城は、着々と復元作業が進められていました。
昭和35年に天守閣、46年に常盤木門、平成9年に銅門 ( あかがねもん )、平成21年に馬出門が復元され、
現在 「 御用米曲輪 」 が復元工事中でした。