ブログにアップしようか、それとも、しないでおこうか・・・しばらく悩んでいました。
 
 記事を書き始めたとしても、書き続ける、言葉を探して繋ぎ続ける自信がなく、躊躇していました。
 
 でも、やはり、たとえ言葉が見つけられなくても、自分の眼で見て来たことを、そのまま記録として残しておく
 
と共に素直に現実に目を向けなければならないのではないか・・・と思い、UPして行くことにしました。
 
 新しく 「 Drive大好き 」 という書庫を追加し、ここで今日からしばらくの間、シリーズで紹介して行きます。
 
 2011年11月5日(土)の話です。
 
イメージ 1
 
<11月5日>
 
 思い立って夜明け前に、妻と二人、車のトリップメーターをゼロにして自宅を出発。
 
 この日は、濃く深い霧。放射冷却のような天気だったんでしょうね、視界が100m以下の場所もありました。
 
 仙台を抜け、菅生PAに着いた頃に、ようやく夜が明けました。6時過ぎだったと思います。
 
イメージ 2
 
 ここまで来る途中も、至る所、霧で視界が悪い場所がありました。それでも、さすがにこの時間帯は通行車両
 
が少なく、思ったより早く着いた菅生PA。
 
 いくらか霧が晴れて、視界が開けてきたものの、山腹から山頂にかけては、まだ残っていました。
 
イメージ 3
 
 白石ICで高速を降りて一般道へ。一路東を目指します。つまり海側へ。
 
 「 亘理ショッピングセンター、みやぎ生協亘理店まで直進1.5km 」 の看板。亘理町に入りました。
 
イメージ 4
 
 思っていたより海岸が遠く、広い道を辿りながら走るうちに、亘理町から、少し北上して岩沼市へ入りました。
 
 ある一線から、突然、風景が変わります。
 
 言葉で表現するのは、正直、なかなか難しい・・・。あえて言うならば、「 普通の生活空間 」 から 「 全く何も
 
ない空間 」 への変化とでも言えばいいでしょうか・・・。
 
 荒涼とした風景の中に、ポツンとバス停が立っていました。「 岩沼市民バス 新浜 」。
 
イメージ 5
 
 霧がほとんど晴れて、太陽が見えて来ました。
 
 こちらが東側のはず、つまり海側で、遠くに見える枯れ木の向こうに、太平洋が拡がっているはずです。
 
 逆光になって、薄暗く感じる地表には、見渡す限り何もないように見えます。
 
イメージ 6
 
 夜が明けたばかりの、宮城県岩沼市新浜。
 
 これが、大津波が残した爪跡です。
 
 ボランティアに来たのでもなければ、支援物資を運んで来たわけでもありません。ただ単に見に来るだけと
 
いう目的で被災地を訪れるのは、どことなく罪悪感がありました。それでもやはり、冬が来て雪がすべてを
 
覆い尽くしてしまわないうちに、現場に立って、現場の空気を吸い、現場の状況をこの目に焼きつけておきたい
 
と思って、突然の決断でした。
 
 「 百聞は一見にしかず 」、聞くと見るとでは大違い、同じ空気を吸うことで、被災という現実を肌で感じるために
 
この日一日、亘理町から北上して行きました。