先月22日夜9時半
甥から親父が死んだと
携帯が入った
15時9分
今は〇〇病院で面会は
出来ない
と・・・
しまった、6月18(土)か、19(日)の
どちらかに兄宅に行かねば
と思ってた
かねてからの病気「胸部大動脈瘤」の手術は
79歳で見つかった
が
甥の長男と私は、手術には
反対
兄貴も主治医に質問した
心臓の血管3本が
対象だと・・
細い血管も切らずに手術が
出来ますか?と
医師はそういう
時もある(切る時もある)と
ほとんどが、手術後
半年くらいで
機能が出来なくなるという
のを、何度も調べて実例を探しては
兄貴宅に送った
だから兄貴は手術を断念
したのだろう
奥さん他は手術しようよと
先生は手術したほうがいいと言ってるからと・・
甥も
あれから5年よく生きたと言ってた
私もそう思う
兄貴の顔、死んだ顔
触ると氷のように冷たかった
兄貴の死んだ顔を葬儀関連で
見る度に
「なんで死んだ」
と怒鳴ってた
葬儀では、思はず
棺に花を数本顔に
ぶつけた
「なんで死んだ」と
奥さんが、顔にかかった
花をどけた
昨年10月に行ったきりだった
隣の愛知県まで
車で30分だが予定がつかなかった
自分が優先だった
虫の知らせで
21日の用事をすませたら
もう3時半
これからこのまま行こうか?
行かねば・・
と・・思った
だが兄宅に着くのはは4時になる
どうしよう・・と思ったが
このところ
そんなこと思うのが不思議に
思えた
今から行っては迷惑だろうなと思ってやめた
今思うと、虫の知らせだった
友達に兄のことを話していた21日のことで
死亡の前日だった
それはきっと虫の知らせだ・・と
後で報告したら友達が
言ってた
本当にあるんだと
実感した
行けばよかったな
年の離れた兄貴だが、思い出がたくさん
つまっている
一番仲の良い兄貴
「なんで死んだんだ」
と今でも思ってる
西郷輝彦の歌
「涙をありがとう」
詩を口ずさんだ
♪呼んでも~帰らぬ
兄貴だ けれど♪
このうた歌うと、涙が出てくるよ
思い出
北アルプス雲の平での出来事
両方の家族が何回も聞いた話と
甥は言う
北アルプスに私が、高校3年生の夏に
4泊5日(内・・夜行列車で1泊)山小屋の泊まりで
兄貴から
急に山に行かないか
と連絡があり
金を出してくれるのは分かっているから
何も言わず・・
聞くまでもない
二つ返事で「いいよ」
といった
おふくろには兄貴の所に
遊びに行ってくると
言って
ズック靴とナップザックに下着とタオルを入れて
軽装で家を出た
何も知らない学生だったからな・・
初めての、そして4泊5日の登山は
その後も経験できな山の思いで
となった
黒部の源流の沢下り
太郎兵小屋を朝6時にたって
雲の平には昼前
11時半にはついた
午後からの行動(次の山小屋)はしてはいけない
次の山小屋まで
距離があるから、雲の平小屋で
泊まるのが、普通だった
でも兄貴は距離を短縮すれば次の
山小屋まで着けると
自信満々で
いた
昼食も早々に
天候も曇ってきたがら
足早で歩いた・・
振り返れば
遭難一歩手前の出来事
名古屋駅0時〇〇分発富山行 夜行列車
富山駅→立山→薬師岳→雲の平→槍ヶ岳→上高地(テント泊)
沢下りは
黒部の源流だったと帰ってから
地図を調べて
解って
ビックリしたと
親父が言ってたと
そうだったのかと
葬儀の合間に
甥がら聞いた
私は
希少難病の会からの広報(KNG)
に作文を今年の10月に
記憶として
出す予定です
それを兄貴に聞かせて
やりたかった
笑って懐かしかっただろうと
思う
もう少し生きていてくれたらと
ちょっぴり残念だ
最近TVで「秘境雲の平」と
よくやってる
まさしく水が集まる頂上だね
前に戻る
その地点から
沢(川)の
中を下るのが沢下りです
天候も3時過ぎた頃から
雨が降り出し
そして
強い大きな雨粒となって
風も出てきた
もう合羽も何の役にも
たたなくなってきた
何もも言わずに
下へ下へと
黙々と下った
川の水の上にポツ ポツと浮かんで見える
大きな石をめがけて
飛びながら
下へ下へと、ひたすら早く降りる
ことのみ考えてた
そして
石から滑って転び
したたかに
膝、腕を打つことが
多くなってきた
必ず脇道があると
兄貴はいう
黙ってついていくだけだった
雨も強くなり殴りつける、叩きつけるようにってきた
大きな雨粒は容赦なく
顔を殴りつけた
痛かった
4時を廻ったころには
うす暗くなって
水嵩も、膝の上を過ぎ
転ぶと
胸まで水嵩が上がってきて
顔を水中に
打ち付け溺れるのでは
ないかと
思った
そしてついに
大きな石もまばらに
なってきた
このままではと・・
自分で思考を何度も何度も繰り返した
が
兄貴についていかなくては・・・と
だが、このまま脇道が見つからなかったら
と・・
このままでは・・・どうなるんんだ・・
頭の中は何度も
同じことで
くるくる
廻ってる
なんで俺は、生まれてきたのか?
何のために生まれて・・来たのか?
と自問自答するように
なってきた
生まれてきたわ理由を何度も
何度も思考する言うに
なった
そして自分の心が決まった
兄貴に言った
「兄貴僕は引き返す」
「今来た道を引き返す」
と
「兄貴が、川を下っても
僕は引き返す」・・と
引き返せば、生きられる
と思った
そして
私の心の中は
社会に出て何も貢献してない
なんの為に生まれてきた
のか・・・と
親に何も返していない・・と
「僕は今来た山小屋まで
戻る」
先ほどの雲の平の山小屋へ戻る・・と
兄貴は、立ったままジットしていた何も言わなかった
私は、「俺は戻る」と
今降りてきた沢を早く登らなくてはと
兄貴を無視して
ナップザックに入っている
野菜(キャンプで使う)他重い物を
全て捨て身軽にした
兄貴は何も言わなかった
兄貴は何も言わずに私と
行動をともにした
雲の平山荘についたのは
20時を過ぎてた
グッショリと濡れてた
濡れた衣類は
乾燥室に干した
衣類で一杯だった
今思うと
そりゃお盆の休みだったからだろう
兄貴と、私の2人分の下着を
知らない山仲間(大阪の人だった)
貸してくれた、本当に
ありがとうと感謝した
良く寝れた
岐阜駅について
兄貴は私に
〇〇ちゃんありがとうと
言ってくれた
私は、「うん」と言った
家に帰ったら おふくろが
「長かったな」
と
その時は、もう山には絶対に
行かないと思った
しかし
その後も一人でまた
北アルプスに登り
この時も無理して
ビバーグした思い出がある
なぜ山に登るのか
理由は見つからない
夏になると
山に足が向く青春時代だった
また、スキーにも一緒に泊まり込みで行った
長くなったから
止めます
父の日のプレゼント
次女から
ありがとうです
♪♬♪と名前が入ってた
野菜のジュースです
これもありがとうです
外出中だったから
玄関に置いてあった
孫娘4歳から
「じいちゃんこれ」と
言って
去年にもらった朝顔の
種
播いておいたら
花が咲いたよ
嬉しいね
童 謡
金魚の昼寝
浜千鳥
かなりや
かなりや
ようやく兄貴が亡くなって
10日が過ぎました
いいね、コメントできずに
ゴメンなさいです
これから少しずつ
見ます
昨日は
左耳から血が出てきた
再発性多骨軟骨炎の
症状だ
いつも痒いので固まった血が
綿棒についてくる
今回はドロツとした血だったから
近くのいつも行っている耳鼻咽喉科
へ行ってきました
先生、瘡蓋が張っていると
頭を押さえられ
耳の奥を掻きまわす
我慢できずに
「痛い」と言ったら
「当然痛いに決まってる」と
女医先生は言う
ピンセットで耳の奥の瘡蓋を剥がし
吸引器で
ズーウ ズウと
取れにくい瘡蓋を
また、ピンセットを使う
そのたびに
ズキン、ビリビリと
痛かったな本当に
また来てくださいと先生はいう
何時ですかと聞くと
来週早め と
言う
耳の中はガーゼが詰まっている
今でも左耳は少し痛い
治らない再発性多骨軟骨炎
プレドニンが
飲まなくても良い時が来ることを
願っているよ
来てくれてありがとう