
里谷多英。この名前を聞くと眉をひそめる方もいるかもしれない。
2005年2月8日深夜、六本木のクラブで繰り広げた泥酔暴行事件。
その日猪苗代で行なわれたモーグルワールドカップで2年ぶりに表彰台に立った里谷。
そんな中で気持ちが緩んだと弁護する人もいるが、何を言っても言い訳の効かない不祥事であったことには変わりは無い。
冬季五輪日本人女子初の金メダルを獲得した1998年長野五輪。
続く2002年のソルトレーク五輪では2期連続メダルとなる銅。
そんな里谷が犯した罪は、想像以上に酷評されメダリストの地位も何もかも消し飛んだ。
逆にメダリストだからこそ世間の人々の評価の下落は大きかった。
日本スキー連盟の処置も厳しく強化選手から外れ、日本代表からも外れることになる。
自分の起こした行為の事の重大さに対し、里谷自身の思いは当然のことながら激しく傷つき、ゆれた。
「誰とも話しをしたくなくなって、無気力状態というか、精神的に辛くて何も考えられなかった。3月の時点で、もう人前でモーグルの演技をすることさえも嫌だな、できないだろうな、と、悩んで、悩んで、家から出られなかった」
一般人ではなく、世間に注目を浴びるオリンピックのメダリスト。子供達に夢を与え、人々に感動を与えてくれた里谷だからこそあってはならない行為であった。
悶々とした日々が続く中、その状況から逃げるようにハワイにあるトランポリン学校へ入学する。
傷ついた里谷が選べる道は2つだけであった。スキーを脱ぎ、世間からそっと姿を消す事。何を言われても、もう一度モーグルに挑戦する事。里谷は後者を選んだ。
里谷は言う。
「支えてくれたのはスキーでした。海外に出てトレーニングを積んでいくうちに、何と言うか、私にはスキーがあるんだと思うようになりました。私はスキーが好きだと改めてよく分かったし、少しずつ前向きになることもできました」
そして本格的にオリンピックシーズンに入った10月上旬、スキー連盟の理事会は、反対の声も多い中、過去の実績も全ての優遇措置も捨てさせた上で「競技者」としてとどまることを認めた。
迎えたトリノ五輪。スピードに乗りきれず、さらに第二エアの着地で失敗をし、15位という残念な結果に終わる。
様々な思いが交錯した中でのオリンピック。今まであまり喜怒哀楽を出さない里谷であったが、TVに映し出された彼女は、ひとしきり涙を流し悔しさを表に出していた。
そして先日、去就が注目された里谷は、リレハンメル五輪から5期連続となる2010年バンクーバー五輪へ出場する決意を明らかにした。
このままでは終われないという気持ちも当然あると思う。
一度付いた汚名は、そう簡単には払拭することは出来ない。
しかしこれまで間違いなくトップアスリートである事を証明してきたことは揺るぎない事実。そしてスキーを愛していることを再認識した彼女。今後は誰の目も気にせず、自信を持って自分のために日日精進し、4年後のバンクーバーで、さらに大きくなった里谷多英をみせてほしい。