昨日は、奈良県五條市のこの無人駅から金剛山を目指した。

 

金剛山の登山口に至る途中に藤岡家という江戸時代末期の豪農、豪商の屋敷がある。案内の人の話を聞いていると、これが凄い。今から思えば、こんな田舎にと思われるが。大阪と奈良を結ぶ間道にあり、標高は高いが金剛山の麓にあり、水田開発ばかりでなく、薬商としても財を成した人間である。聞けば、豊臣秀吉方の残党だったようだ。

 

この藤岡家、今では跡を継ぐ人もなく五條市に遺贈して、ボランティアの人が管理に当たっているようだ。中を案内して貰ったが、大阪の大名が一泊してもなんら不思議のない部屋があった。

 

これが母家。

 

これが貴賓室とも言うべき部屋。この床下は刺客が入り込めないような作りになっている。

 

天井や障子には屋久杉が使ってあるとのこと。昨日は、金剛山登山が主目的だったので、ゆっくり話を聞いていられなかっだが、もう一度行ってゆっくり話を聞きたい所だ。

 

金剛山初心者用の登山道である小和道で頂上を目指す。大阪からの登山道はかなり整備されているようだが、こちらもかなり整備されている。但し、千早赤坂村方面から運動靴くらいでロープウェイを利用して登るというわけにはいかない。

 

小和道はかなり整備されている。だが、久しぶりに歩いたせいか足の疲れというより息切れで途中何度も休んだ。めまいが起きそうにもなった。

 

金剛山にも「天の滝」と言うささやかな滝があった。日本にはナイアガラの滝のような壮大な滝はないが、修験道の行者が一息つき、滝の清水に感動したであろうと思われるこのような滝が奈良の山にはあちらこちらにある。

 

杉林のハイキング道。かなり整備されている。

 

登山途中には一休みできるベンチが所々に置いてある。

 

頂上近くにあった鳥居。金剛山という名前はいかにも仏教系の名前だが、山自体の神聖さは、やはり「神」意識から来ているのであろう。朽ちかけてはいたが、この鳥居がそのことを物語っていると思われる。

 

頂上に至る途中の仁王杉。この威容を少しでも感じて貰うために動画にしてみた。


夫婦杉というのもあった。これは結構あちらこちらにある。日本は古代から男と女の永遠の愛をこのような杉の姿に託していたのであろう。

 

雄略天皇が葛城山に登った時に、葛城の神に出くわした話は『日本書紀』などで有名。

 

雄略天皇が狩をしたという場所に社があった。

 

山頂近くに葛城神社。この神社も出雲系だと思われる。そもそも古代豪族の葛城氏が拠点としたのが葛城・金剛山である。奈良にアマテラスを思わせる神社はほんのわずかしかない。伊勢神宮は有名だが、アマテラス、伊勢神宮は大いに謎だ。

 

そして、お寺。生駒山、葛城山、金剛山は修験道の山。役行者ゆかりの寺と不動明王が多い。


奈良を歩きながら思う。日本に一神教は馴染まない。山本七平が言ったように「日本教仏教派」「日本教キリスト教派」というように常に頭に「日本教」が来る。神仏習合も「神」が主。この「神」は一神教の神とは大いに異なる。日本人の心性が生み出す「神」を中心に思考し、振る舞うあり方を山本七平は「日本教」と言った。

 

山頂に到着。奈良側からの登山道では1組の登山客にしか出会わなかったが、山頂付近ではかなり多くの人がいた。山頂は広場になっておりテーブルやベンチが置いてあり、皆さん楽しく食べたりお喋りをされていた。

 

山頂から見た大阪方面の眺め。良く晴れた日だったのだが大阪の町は霞んでいた。

 

下山の道は登りと違う道をとった。登りは小和道という整備された道。こちらは久留野道。登山道の一つとして登山案内地図にも載っているのだが、笹で道が見えない。ただ道のところは笹と笹が谷間を作って一本の線となっている。少々ビビったが行くことにした。

 

笹が少なく少しはマシなところ。歩きながら久留野道ではなく「笹道」と呼んで欲しいものだと思いながら歩いた。

 

多分、この久留野道を利用する人はほとんどいないのではないか。道は笹がなくなったかと思ったら、小石がゴロゴロ、倒木もあちらこちらにある。

 

無事下山して里に出た。しかし、この久留野道は標識がほとんどなく、もし登りでこの道を取ったらえらいことになっていた可能性が大。下山の道で良かった。3時までには里に下りる予定だったが、3時でも山の中は暗いところが多かった。因みに、この標識では、金剛山登山道かどうかも私には分らなかっただろう。

 

無事に出発地点の駅に戻る。時刻表を見たら、電車は1時間に一本しかなく、時間がかなりあったので、下山途中でよく目にした「日の丸」様なものがなんだったのか探索に出かけた。

 

電車が1時間に1本しかない田舎に新興住宅地があった。ちょっとビックリ。

 

住宅地を少し歩くと山から見えていた「日の丸」様のものがあった。住宅地の公園で子供を遊ばせていた若いお母さんにこれが何かを聞いた。気さくなお母さんで、「なんなんでしょう?私も気になるわ。モヤモヤする。友だちに聞いてみる」と言ってスマホでメールをしてくれていたが、電車の時間が気になり結果が分かる前にお礼を言って駅に向かった。

 

ただ、駅から金剛山に向かって歩いているとき、田舎にしては若い人が多いのが気になっていたが、世間話を先の若いお母さんとしていて分かった。この北宇智駅の東側は工場団地になっており、そこで働く人たちのための新興住宅地も開発されていたのである。納得。

 

今回の金剛山登山を含めたハイキングの総距離は26キロほどであった。