昨日は、私が奈良の拠点にしている三郷町から龍田古道を歩いてみた。ハイキングとしては半日コース。


すぐ近くに岩瀬の杜があり、ここには天智天皇に愛され、後に藤原鎌足の正妻となったと言われる鏡女王の歌碑が建っている。


神奈備の岩瀬の杜の呼子鳥 痛くな泣きそ 吾が恋まさる



龍田古道はいくつかコースがあり、行きは大和川沿いを行く。


途中、龍田古道が二手に分かれる分岐点に峠八幡神社があり、そばになかなか立派なお地蔵がある。

お地蔵さんは祠の中に安置されており、外からは暗くてよく見えなかったが、写真を撮ったら非常に鮮明な写真が撮れた。



大和川の「亀の瀬」という地滑りで全国的に有名な場所の近くにある資料室。


この近くに地滑り災害から残った亀の瀬トンネル跡がある。あちらこちらで宣伝しているので、この資料室に電話をかけて聞いてみたら、今はテレワークで担当の者は出勤してませんよ、とのこと。また、改めて話を聞くことにした。


こういうトンネル跡の写真があちらこちらのパンフレットに掲載されている。


河内堅上駅を超え、山間の青谷を上っていくと、風の神を祀る金山彦神社がある。三室山を挟んで大阪側にこの神社があり、奈良側に有名な龍田大社がある。今では龍田大社に祀られている風の神は、風害から人々を守ってくれる神になっているが、古代は鍛治職人が風が強く吹いてくれることを願うための神であったという説もあるが、さもありなんと思われる地形である。神社の説明書きでもそうなっている。


金山彦神社は金山姫神社とセットになっているようだが、姫神社は青谷をさらに上ったところにある。


奈良の山間や丘陵地を歩きながら、いつも思うのだが,人間は単に必要性だけでなく、高いところに住みたがる生き物かも知れないと。


この写真では分かりにくいかも知れないが、この坂道、相当な急斜面で道は狭い。殆どの家が軽自動車であり、それも四輪駆動の軽でないと走れそうもなさそうな程の坂道なのである。


青谷をかなり上ったところに龍田古道の里山公園があり、そこから三室山に向かう。公園そばには、龍田山を歌った万葉歌碑がある。


三室山を越えて行く古道には地元の人と思われるが、至る所に万葉の歌が木々に吊るしてあり、また古道の整備に協力しておられるのが分かる。


このような立派な歌碑も建てられている。古代人にとって龍田山、三室山というのは奈良と河内の国境にあって、何かと思いを深くする場所であったのであろう。


山腹からの王寺方面の風景。自分の家の方を振り返り、また山の桜を眺め、いろいろな思いを込めて古代の人々は峠超えをしたのであろう。


奈良のハイキングは尽きることがない。