道明寺天満宮を後に、道明寺に向かう。見るからに瀟洒な感じの門。説明書きを読むと、なる程と思った。尼寺だったんだ。後で紹介する野中寺などのゴツゴツした印象と違うわけだ。
寺の中の建物もあまり高くなく線が非常に優しい。庭を歩いていても女性らしい心使いを感じる。
道明寺の仏さんは、ここが尼寺という目で見るせいか、とても優しい感じの仏さんが庭にあった。
道明寺を後にして、允恭天皇陵を見るも、参拝出来る場所なく、木が茂る小山になっているだけであった。
ここを後にして、王仁氏の枝氏族の氏寺である葛井寺に向かう。途中に、大阪の町がきれいに見渡せる古墳があった。
私は大阪の地理が今ひとつ頭に入っていない。中央の高い建物はハルカスなんだろうか。
金達寿が言う葛井氏族の氏寺と葛井寺と氏神を祀る辛国神社へ行く。その途中にある応神天皇陵、これは凄い。写真では分からないかも知れないが、宮内庁の事務所もあり、手入れも行き届いている感じの実に広大な御陵である。
いよいよ、葛井寺と辛国神社のある藤井寺駅近くに到着。この辺り、門前町の雰囲気。
蘇我氏には渡来説がある。確かに韓子、高麗などの名前がついた人間がいる。物部氏も渡来説があるが、辛国神社へ行って説明書を読んでいたら、物部辛国(韓国)が祭祀したという説明があり、なるほどと思った。物部の祖神饒速日が朝鮮半島渡来の神かどうかは分からぬが、半島南部と列島は、人的交流が相当盛んだったのは確かであろう。というか、半島南部と列島を別人種と別けるのがそもそもおかしい。後世の日本人、朝鮮人の観念を古代に投影するのがそもそもおかしいと私は思う。
辛国神社からほど近い所に王仁の枝氏族である葛井氏族の氏寺という説明書きのある葛井寺へ行ってみる。なかなか立派な寺が今も健在だ。
葛井寺を後にして、次は、これも王仁の枝氏族である船氏の氏寺だと金達寿が言う野中寺へ向かう。
野中寺はそれほど大きなお寺ではないが、なかなか興味深いものがあった。
この寺、渡来系という目で見てしまうせいもあるかもしれないが、何か韓国で見た宮殿や伝統家屋の趣きと似た感じがしないでもない。
このお寺の墓地に「お染久松の墓」というものがあった。歌舞伎好きな人ならきっと知っているのだろうが、この心中物語を私は知らなかった。江戸初期というから400年も昔の2人の墓が残っているというのも、なかなかのものだ。
また、このお寺の一角には、まさに神仏習合そのものというものがあった。仏を神として祀っていた。鳥居の正面奥に鎮座しているのは仏である。
野中寺を後にして、古市駅方面に向かう。途中、ヤマトタケルで有名な白鳥陵がある。
この陵を右手に見ながら古市駅方面に向かう。古市駅近くには白鳥神社もあった。
この白鳥神社も元々は西文氏の氏神を祀る神社だったと金達寿は言っている。
また、この古市駅近くの西琳寺も西文氏の氏寺だったそうだ。
ここ古市から近鉄•上ノ太子駅方面に向かって歩く。最後の目的地は飛鳥部神社である。それにしても、アスカ•飛鳥•明日香•アスク•安宿と「アスカ」表記は多すぎ。さらに大阪の「アスカ」と奈良の「アスカ」があり、頭が混乱する。この大阪のアスカは飛鳥ワインで有名らしいから一杯飲もうかとも思ったが、ワインの味を知らぬ私はやめた。お酒の通に聞いてからにしようと。
歩くこと1時間くらいか。到着。
神社と言っても、これくらいのかわいい社があるだけ。だが、手入れはきちんとされている。地元の人が大切にしているのであろう。
ちょっと気になったのが千木。この社は三箇所に千木がある。
千木のことは気になるので写真を結構撮っているのだが、今まで奈良•大阪を歩きながら見た限りの神社では圧倒的に「外削ぎ」の千木が多い気がする。これはアマテラス系というより出雲•スサノオ系の気がするのだが。
歩けば歩くほど、知らないことばかりだが、また、疑問もいろいろ湧いてくる。私のハイキングは終わりの見えないハイキング。だが、田舎育ちの私は歩いていると、楽しいのである。また、私の日本人論のヒントになることも多い。