宿命大殺界大進行中!(諦めは幸福への近道)

宿命大殺界大進行中!(諦めは幸福への近道)

宿命大殺界突入後、殺界同士で結婚!相性悪!この結婚生活どうなるの?六星占術を読み解いて気付いた事の他、スピリチュアルな事も記録中。

私は、六星占術を占いとしてだけではなく、生き方や知恵、心構えなどの参考としても捉えています。

江原啓之さんのスピリチュアル書籍も参考にしつつ、人は幸福へ向かって生きていると実感。

ある時、私は自分達夫婦が男女でもある事を心底諦めた。その時から私の内が変化し、様々な事に気付くように・・・

これを期に本格的に六星占術で自分の過去を調べだし、私という人の宿命と運命を知る。自分を見つめ直し、反省と解放によって、身に起こる「事」の全てを引き受ける覚悟と、柔軟になれた今、諦めた事で気付いてきた事を記録しています。

注・記事内容はあくまでも私個人の解釈です。


私は土星人(-) 宿命大殺界(静雲星)中 残り6年

21年は種子

旦那は火星人(-) 宿命(火竹星)中 残り3年

21年は達成

宿命星の意味はコチラ  ・ 運命周期はコチラ

土星人と火星人の比較はコチラ


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来世の自分を助けられるのは


今世の自分しかいない。



この苦しみからは逃れられない・・・と


気づいたなら


たたかいなさい。


来世にまでも同じ苦しみを味わいたくなければ


今を受け入れ


生き抜くのです。





何度も、

何度も言おう。


私は私のままでいい。

貴方は貴方のままでいい。


私は期待しない。

私は期待されていない。

だから私の心は私だけのもの。

私の体はその心を実現化してくれる器。

私の心に合ったオリジナルの器だから私にだけ扱えるの。

だから私の体も私のもの。

私以外に私の器を扱うことはできない。

私以外に私の器を扱おうとすることは許さない。


貴方は期待しない。

貴方は期待されてなんかいない。

だから貴方の心は貴方だけのもの。

貴方の体はその心を実現化してくれる器。

貴方の心に合ったオリジナルの器だから貴方だけしか扱うことができない。

貴方の体は貴方のもの。

他の誰にも貴方の器を扱うことはできない。

他の誰にも貴方の器を扱おうとすることを許さないで。


いろいろある。

様々な罠にかかる。

苦しくもなる・・・

それでも、


何度も、

何度も言おう。


私は私のままでいい。

私は私のままでいることを許します。







誰か教えてほしい・・・


私がやっていることはそんなにも人の人生を束縛しているのか・・・


「やりたいことをやってほしい」


人生を謳歌してほしいと私は人生が変わったときに人に対してもそう思えるようになった。


だが、そうストレートに言えば


「とはいっても現実は・・・」


と言われ、


「現実を見て」


と言っていた時期にはいくら訴えても家庭崩壊的なことばかりしてきた。


病気だと思ったほうがいいという言葉の意味がよくよく理解でき、


同じことを何度も繰り返すということは、それがその人の人生を潤わす一部であり、生きがいであるならば、やめろと言う方が滑稽だし、強硬姿勢に打って出ればただの脅迫にしかならない。


私は、その人の人生をすべて受け入れることにした。


私は地獄を見ようが天国を見ようが自らの覚悟でその人の人生に付き添うときめた。


だから、私が決めた私の人生を今生きている。


だが、同じことを言われたことがあるという人物に、


「私はそれを言われてすごく苦しかった。手放してはもらえないんだと辛かった」


と言われた。


私は拘束しようなんて考えていない。


彼が心から向かいたい道に向かうために私や子供たちを連れては行けないのだと言われれば、私はそれをも受け入れる覚悟が出来ている。


たとえ地獄を見ようとも、自らが望んでそこに行きつくのだから、彼の責任にできるとも思いもしなかった。


着いていくと私が選んだ人生だからだ。


彼には心が望む道へすすんで人生を謳歌してほしいと、ただそれだけを願っていた。


ある人にそう言われたとき、


私はひどく苦しんだ。


私が覚悟して生きてきた人生・・・


それが一番身近な人を苦しめているんだよ。間違った生き方をしていると言われたようだった。


離婚がなによ、浮気がなによ、借金がなによ。


それが心から人生を楽しむための選択ならば私は受け入れようさ。


心からそれを望んでいるのなら、必要ないなら必要なくなったと言わなければ、


そう言うことを避けたり言わせようとする卑怯さには私は乗らない。


「解放してあげなよ。何を恐れているの?」


正直ムカツイタ。


拘束していない。


恐れていない。


私は心が求める人生を謳歌させてもらっているから、


「心が求める事をやって。そして、楽しんでほしい」


と言ったのに。


その言葉が拘束するって何?


私はそのあとから自らに対しての怒りと悔しさと選択した人生を否定し始めた。


彼に、


同じような思いがあるのか、確認はしない。


「そんなこと思ってない」


と言われたところで、疑念にかられ苦しむからだ。


私は、今地獄を見ている。


体調を崩し悪寒と頭痛の中決めた。


私はいい人になろうとしていたのかもしれない・・・


人の人生を踏み躙ってでも私は心のままに生きる鬼になろう。


私が笑うとき、誰かが泣くと分かっていても。


私が笑うとき、みんなが笑って幸せだと信じていたのに・・・









とってもお久しぶりです。

今回の大震災、私はやっと最近になって泣くことができるようになりました。


自分でも私は変わりもんだと思います。

天災や過酷な人生を歩むドキュメンタリーをみて涙を流すことがありません。

それは地球規模、宇宙規模で考えると選ばれた現象であり、自らが選んだ人生だと考えているからです。


冷たいと言われればそれでいいし、人でなしと思うのが人として自然な思考かな・・・

私が笑ってこの考えでいられるわけではない事、理解してはもらえない寂しさと悔しさを手放せずにいました。

心で泣きながら、でも、それでも必要なことしか訪れていないという心・・・


慈愛に満ち溢れた人がいるのだから、私みたいな変人が一人いてもいい。

そう考えを変え、自分を責めないように、逃げないように切り替えました。


動き出すしか道がないのだから前進しよう。

ここから創める。

選ばれて生き残ったのだから。


そんな言葉を聞けるようになって、やっと泣けるようになりました。

私は、気づきや前進の言葉や行動に対して涙を出すようです。

力強く、たくましく、凛として歩み出すその姿に感動しました。


もう、

誰かのせいにしてごまかすのは止めよう。

子供達はそんな大人の姿を見たくない。

そんな言葉は聞きたくない。


その辛さ、同じく経験したら許してくれるんですか?

その辛さ、どれだけ辛いか知っていて経験させたいですか?


怒りに毎日を過ごしていて何か変わりますか?

不安にかられて不安から逃れられますか?

あなたに何がわかるんだ!と言って、

分かってもらえることがありますか?


幸せだった頃

普通でいられることを「幸せ」だと感じていましたか?


日々に「あたりまえ」なんてことは一つもないこと、

あたりまえと思えることがどれほど幸せなことか、知らされていませんか・・・


なぜ、

人は幸せな時ほど感謝しないのか・・・

あたりまえな時ほど祈らないのか・・・


私はそう思い胸が苦しくなります。

心は痛くなり涙が出ます。







現世を去る準備をしながら生きている。

準備、準備、日々は準備の繋がり。
卒業のための準備が生活。
それをどう楽しむか、楽しめる人は幸せ。
懺悔は終わった。
歩き出そう。
新しい光のさす方へ
ただ楽しいだけの未来へ
人に優しく接することが難しくなったとき、人から優しくされないと感じ始めたとき、

私が私を愛しているか考えてみよう。

愛されることをしている私ではなく、

無条件に、
今の私を受け入れ、
認め、
尊重し、
愛したときに

全てが変わり始める。

だって、
生きることを許されているから
生かされてる。

存在することが許されているから
存分している。

私は全てを許されているから
私のまま生きていていい。

生きるとは行動すること。


いろんな事が解らなくなった時は
情報がキャパを越えたという事。
シンプルに還れる時。
幼児の頃の、
ただ楽しむために動くことを思い出す。