え~
もうお昼時だっていうのに朝方撮った画像ですんまそん
名古屋駅近く笹島のあたりです。
長かった梅雨のあとに地震が続き、どうも気がせわしくなるというか浮つき気味になってしまいますね。
これがそれこそ1000年の昔のことだったら政治が悪いんだ、なんとかしてくれ、っていう前兆のように思われてそうですが、ぶっちゃけ、いまのわたしもそんなようなことを感じていたりしています。
日本よ、日本の民よ、いまこそ変わりなさい、と八百万(やおよろず、と読みますよ。「はっぴゃくまん」ではないですからね)の神の意思だったりしたりして
といっても、別に神道に傾倒しているわけでもないしその信者でもありませんよ、わたし自身は。
まぁ、神といわず大地の意思、とでも言うべきでしょうか?
わたし自身はっていうと、どうも花鳥風月でいうと風の属性に入るようで、変化を求めてやまないというか常にどこか別の場所にいたがったりしているから、これはこれで当たってるのかもしれないなぁ、と思います。風、といっても、いわばすべてのものに働きかけて変化をもたらす、そのきっかけ、というほうがより実感には近いのかもしれません。
ちなみに、花とは可憐で物静か、守りに入るイメージ、鳥は目標に向かってまさに飛び上がっていくというか攻めていくイメージ、風は周りにいい意味でも悪い意味でも影響をもたらす動きのイメージ、そして月は独り思索にふけり、自分の理想や美学に忠実でいるイメージです。
で、ふと思ったのは、日本の国としてはその時期の長短や程度に差はあるにしても花鳥風月というような変化を何度も経てきたのではないかな?ということ。いまももちろんその変化は続いていて、今度は月に代わって花の時期になるのではないかな?と感じています。
まぁ、あくまでも花の時期、であって鳥や風に至るまでは実際に長い時間がかかるでしょう。どこまでも、といいませんがしばらくは守りに徹して鳥になって羽ばたくのを待つ。それは確かにまどろっこしいでしょうが、遠き月を眺めて首が疲れるっていうよりかは身近な花を見て心の変わりようを見極め、楽しむっていうのもまた一興のように思います。
季節こそ月見が近づいていますけれどもね
花より団子、ともいわず、団子をほおばりながら花を眺めてみるっていうのもありでしょ?
その団子が毒入りだったら吐き出せばいいんですし(その吐き出し方がまた問題になるのかもしれませんけれども)。
当座は中身がデスソースでなかったらいいんです
この部分、ちょっとはリアルなハナシだったりしますが。