最近娘の成長には目を見張るものがある。


自他共に認める親バカだけに目じりが下がりっぱなしの毎日である。




僕は人間学的な読み物が好きで、経営者としても松下幸之助翁や稲盛和夫氏を尊敬している。


もちろん財務書評分析だとかPDCAリサイクルだとかバランススコアカードだとかテクニカルな面も大事だが、根っことしては人間としての器が大事だと思っている。


会社は社会の器である、利他のこころを持つべし、、、そんなことを考えて新米経営者として日々頑張っている。




さてそんな僕が娘の成長を見ている中でふと思ったことがある。




赤ちゃんの頃は彼女は自分の欲の塊だった。眠たいときに寝るし、食べたい時に食べる。笑う、そして泣く。



そんな彼女ももうすぐ1歳6か月になる。もちろん今でも泣いたり笑ったり食べたり寝たりのあわただしい日々だ。


でも最近少しずつ社会的な面をもつようになってきた。言葉も覚えてきた。


「美味しい」「おはよう」「どうぞ」


もちろん、まだまだTPOとかけ離れた使い方、何も食べていないのに「美味しい」と言ってみたり、夜でもドアを開けて出会ったら「おはよう」って言ったり、、、もちろん底なしに可愛いし、僕も嫁も娘の発する言葉に大喜びする。


そんな自分の言葉に喜ぶ姿を見るのが楽しいらしく、娘は笑い、また何かをしゃべったりする。



また、一緒にご飯を食べていると、自分が美味しいと思う食べものを「どうぞ」なんて言いながらこちらに差し出してきたりする。



洗濯物を畳み終わるとクローゼットまで運ぶのを手伝ったりする。




こんな娘の成長を見ていて思うことは、やっぱり人間っていうのは自分以外の人に喜びを与えることに幸せを感じる動物なんだな、、、大人になると ”ほかの人のために=利他”、”自分のためだけにではなく社会のために=社会の器” なんて考えがちょっと理想的で現実離れしているようにも感じてしまうのだけど、、、本来の姿っていうのはこういうものなんじゃないかな、、、そう思った。



もちろん単に大人と同じことをしたいだけっていう面もあるのだろうけど、それであればそれで、いつまでもマネをしてもらってもいいように、よい父親として、経営者として、人間として、よい手本になりたいと思っている。