~震災から一年~一周忌
先日、宮城県石巻市に行って参りました
大きな町や駅周辺などは、見た感じ
だいぶ戻ったと思いました
しかし、津波の被害が直撃した場所に行って見ると
まだ時間は止まったままでした
津波による傷跡は、そのまま
恐ろしくなります
根こそぎ持っていった…そんな感じです
通れなかった道路も復旧していて
以前来た時は大きな鉄板を敷いて道にしていました
国道の脇に水が溜まっています
元々畑や田んぼだった場所
北上川が津波で逆流し氾濫
津波の第二波が押し寄せ
もう地図がかわってしまっているような状態
川が近くを流れている場所なだけだったのに
今は、かもめが飛んで潮の香りがする
海が広がってしまったってことだね
津波の逆流で1/4が決壊した新北上大橋
仮の橋が出来て通れるようになっていた
この橋が通行止めになっていたことで
朝晩と渋滞が起きていた事が緩和し
物流がスムーズに行くということだった
嬉しく思った反面
橋の上流に目を向けると…
決壊し破壊された橋の一部の鉄骨が
100mくらい上流に流されて
川の真ん中辺りに残っていた
下流じゃなく、上流にだよ
あんな大きな鉄骨が…。
当時の津波の脅威を思い知らされる
川が逆流しただけでも凄いのに
その破壊力というか勢い…
恐ろしい。
続いて…雄勝地区にも行きました
よくニュースでみた公民館の2階の上に
観光バスがのっている
これも津波の恐ろしさを目の当たりにする画像

このバスを被災を忘れないようにモニュメントとして
残して欲しいと被害状況を調べていた大学などから
依頼があったようだが…
住民が嫌な思いを思い出してしまうので撤去して欲しい
との声があったので撤去されたとの事
…それでいいと思う
被災者の方々はみんな心的外傷を間違いなく負っている
それを思い出させるようなものは取り除くべきだ
役所が言うように被害状況や後世に伝える手段は
別の方法を考える…ということでいいと思う
結局…『絆』だとか言ってたけど
瓦礫を受け入れない県があったしたり
所詮、他人事なんだよ
俺も今、偉そうなことかいてるけど
人のことは言えないのも理解しています。
でも、人間って…本当に弱い生き物で
自分に火の粉が振りかからないと
理解はできず、真摯に受け止められないと思う
おかげで「絆」という言葉が嫌いになりました。
なんか、すごーく薄っぺらい言葉になっちゃった感じがする
それでも、中には本当に相手の事をおもいやれる
素晴らしい人たちもたくさん居ます
それも目の当たりにして理解しています。
話がそれたけど…(^_^;)
雄勝地区も壊滅的だった
沖合いにあるはずのブイが
山の中腹の木にぶらさがってる
信じられない光景
でも、雄勝にある葬儀屋さんに会って
おじいちゃん、おばあちゃんの遺影の写真を
頂く事が出来た!!!
津波で瓦礫すら残らないほどの勢いで
家も流された。なので写真とかそうゆうものも全て
もっていかれた
先祖代々のお墓もね…やられたのよ
でも写真だけでも頂けたのはとても幸運
葬儀屋さんも無事で何より
長くなったので…
今日はこの辺で(^_^;)
大きな町や駅周辺などは、見た感じ
だいぶ戻ったと思いました
しかし、津波の被害が直撃した場所に行って見ると
まだ時間は止まったままでした
津波による傷跡は、そのまま
恐ろしくなります
根こそぎ持っていった…そんな感じです
通れなかった道路も復旧していて
以前来た時は大きな鉄板を敷いて道にしていました
国道の脇に水が溜まっています
元々畑や田んぼだった場所
北上川が津波で逆流し氾濫
津波の第二波が押し寄せ
もう地図がかわってしまっているような状態
川が近くを流れている場所なだけだったのに
今は、かもめが飛んで潮の香りがする
海が広がってしまったってことだね
津波の逆流で1/4が決壊した新北上大橋
仮の橋が出来て通れるようになっていた
この橋が通行止めになっていたことで
朝晩と渋滞が起きていた事が緩和し
物流がスムーズに行くということだった
嬉しく思った反面
橋の上流に目を向けると…
決壊し破壊された橋の一部の鉄骨が
100mくらい上流に流されて
川の真ん中辺りに残っていた
下流じゃなく、上流にだよ
あんな大きな鉄骨が…。
当時の津波の脅威を思い知らされる
川が逆流しただけでも凄いのに
その破壊力というか勢い…
恐ろしい。
続いて…雄勝地区にも行きました
よくニュースでみた公民館の2階の上に
観光バスがのっている
これも津波の恐ろしさを目の当たりにする画像

このバスを被災を忘れないようにモニュメントとして
残して欲しいと被害状況を調べていた大学などから
依頼があったようだが…
住民が嫌な思いを思い出してしまうので撤去して欲しい
との声があったので撤去されたとの事
…それでいいと思う
被災者の方々はみんな心的外傷を間違いなく負っている
それを思い出させるようなものは取り除くべきだ
役所が言うように被害状況や後世に伝える手段は
別の方法を考える…ということでいいと思う
結局…『絆』だとか言ってたけど
瓦礫を受け入れない県があったしたり
所詮、他人事なんだよ
俺も今、偉そうなことかいてるけど
人のことは言えないのも理解しています。
でも、人間って…本当に弱い生き物で
自分に火の粉が振りかからないと
理解はできず、真摯に受け止められないと思う
おかげで「絆」という言葉が嫌いになりました。
なんか、すごーく薄っぺらい言葉になっちゃった感じがする
それでも、中には本当に相手の事をおもいやれる
素晴らしい人たちもたくさん居ます
それも目の当たりにして理解しています。
話がそれたけど…(^_^;)
雄勝地区も壊滅的だった
沖合いにあるはずのブイが
山の中腹の木にぶらさがってる
信じられない光景
でも、雄勝にある葬儀屋さんに会って
おじいちゃん、おばあちゃんの遺影の写真を
頂く事が出来た!!!
津波で瓦礫すら残らないほどの勢いで
家も流された。なので写真とかそうゆうものも全て
もっていかれた
先祖代々のお墓もね…やられたのよ
でも写真だけでも頂けたのはとても幸運
葬儀屋さんも無事で何より
長くなったので…
今日はこの辺で(^_^;)