大震災後…被災地石巻市へ⑤ | ドリーグランパ癌闘病記改め⇒母:アルツハイマー型認知症日記

大震災後…被災地石巻市へ⑤




その後オイラ達は…
おじーちゃん、おばーちゃん、おじさんが
亡くなった時にお世話になった
実家の裏にあるお坊さんが生存していると聞いて
会いに行く事にした



少し離れた山沿いにある同じ宗派の
別のお寺さんにやっかいになってるんだそうだ



そして、そのお坊さんに話を伺った



この石巻市の河北という地区
日本で一番子供の犠牲者の多かった大川小学校
ココは海抜がかなり低い地域だったそうだ
そして海までは5kmくらいある
ここに大津波が襲ってくるなど誰も思わなかった



ましてや、3階建ての建物が無い地域
気仙沼や他の地域と違って
写真や映像はほぼ残っていない



そりゃ、そうだ
まわり見渡しても安全で撮影のできる場所
なんか本当に山の上しか無いのだから



そんな中お坊さんが3・11の日の
ことを教えてくれた



大きな地震が来て、大騒ぎになった
それでも海までは距離があるこの地域に
津波など来ないだろうと皆が思っていた



しかし、年配の方々は過去に津波が来た事を
踏まえ津波が来るから逃げろ!と声をだしていた



逃げたいけれども、老人の多い地区
足が悪い、腰が悪い方々がたくさん居る
俗に言う「お嫁さん」は、親を置いて
逃げるわけにもいかず…



この地区の女性は…ほとんど津波に飲み込まれた
働きに出ていた男性は難を逃れられた…



お坊さんは津波が来ると思い
車に乗って逃げようと思った…と



後ろは山
右手は海へ向かう方面
左手に逃げるしかない



それと平行に流れる一級河川、北上川



道は田舎なので一本道
とりあえず急いで進む



一級河川を渡してある大きな橋
そこを抜けて海から離れるように突き進む



ただ、ひたすたに必死に車を飛ばした



右手を見ると…



恐ろしい高さの津波が
海から川を逆流し、昇っていくのが見えた



見るからにおぞましい
そしてはじめてみる恐怖
でも、進むしか助かる道は無い



加速しなんとか橋を目指す



しかし、恐ろしいこの津波の方が
圧倒的な速さで橋に到着する



人間が安全に川を渡れるようにと造られた
何トンも積んだトラックが何十台戸通っても
ビクともしないあの大橋が



津波がぶつかり…



決壊する!



橋が破壊された



そして橋にぶつかった勢い・衝撃で
津波が左右に分かれる



そして左側に来た津波に
お坊さんの車が飲まれる



左に迂回した津波が
橋の傍にあった小学校も襲う



お寺を出るとき
逆に海側に行っていれば…
いや、それも出来なかった



なぜなら
津波は川を逆流し昇っていったが



後ろから「第二波」が
今度は川を逆流するだけでなく
陸をも飲み込む勢いで襲ってきた



まさに八方塞り



お坊さんの車は波に飲まれ
操縦できなくなり、無抵抗になる



橋~小学校~実家~お寺
このあたりは渦巻状になっていたという



もちろんながら水面の上に
出ていた建物や屋根など皆無



幸い、扉から水が入った量が少なく
そして津波の渦巻きの流れが
山側だったところに車があって
山に車ごと叩きつけられて奇跡的に助かったそうだ



…しかし



…その間
全校児童108人のうち74人が
死亡・行方不明なった状態
の小学校を脇に見て、他にも町の人々が
津波に飲み込まれていく「地獄絵図」を
まのあたりにしたという



お坊さんという職業もあり
助けなければ…という気持ちと
もう自分も車からも出れず
どうすることも出来ない状態



お坊さんは…PTSDに罹患しているようだった
強い、うつ症状も出ている



…そうなって当然のおぞましい出来事だった



【記事抜粋】
大川小の周辺には、逃げ場などなかった。
北上川と丘陵に挟まれた堤防沿いだが、河口からは約3キロも上流。
津波の危険は感じにくい土地だった。震災直後に家族が迎えに来た児童以外は、
町の避難場所が大川小だったために、全員で校庭に避難した。
津波警報に別の避難場所も模索したが、隣の杉山は急勾配で登れない。
堤防を突き破ってきた津波に、一瞬で校舎の屋根までのみこまれた。

大川小は土砂に埋もれ、周辺一帯は、今でも湖のように約4平方キロメートルが水没したまま。



震災、津波前
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震災、津波後
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大げさじゃなく
地図かわってますから!



本当に…恐ろしい





お坊さんは、あまりよい状態ではなかった
同じように…奇跡的に難を逃れた生存者は…皆…



「何故、家族・親族の中で自分だけが生き残ったのか…」



こうゆう葛藤と共に生きていかなければならない
自分なんかより、前途ある子供や孫が
生きてくれたほうが…
と悲しんでしまうだろう。



でも、誰もどうする事も出来なかった
ほんの一瞬の判断で生死を分けた



~たら~れば、は
もう言いっこ無し



自然の驚異に人間の無力さを
感じさせた災害だったと思う



…何も出来なかったけれども
今後同じ規模の地震、津波が…
いや、それより大きい規模の津波が来た事まで
想定して避難経路の対策など十分にしてほしいと思う



大川小の裏の山の勾配がきついし
倒木、がけ崩れのおそれもあったので
山に避難しなかったということなので
今後は、行政・市区町村・学校が連携して
避難経路の整備を行ってもらいたいと思う



もし険しい裏山に避難経路として道が舗装され
すぐに登れるようになっていれば…尊い未来ある子供の命74人
先生12人が助かったのではないかと思ってしまう。
そうであって欲しかった。



でも全国をみると
もっと規模の大きい学校で
避難訓練や災害時の行動を教育し
全員無事だった学校もあったという



自分がガキの頃ダルかった避難訓練
意味があってとても大事なものだと反省した


今後教訓にしなければならないと
深く思いました。