無我とは…。
師匠に聞かれる。
あなたは、無我になりましたか?
私は無我です。
師匠は、問う!
戦争は良いものですか。悪いものですが?
私は答える。
悪いものです!
師匠は静かに…もう一度瞑想してから来てください。と仰る。
私は無我。私は無我。…
私は無我の光だ!そうだ!私は無我光だ!解ったのだ。
師匠に解りました。漸く解りました!と駆け寄る。
師匠は、静かに問う。
戦争は良いものですか?悪いものですか?
私は光だ!と答える。
師匠は、静かに問う。
ひとに親切にすることは良いものですか?悪いものですか?
私は光だ!と答える。
師匠は、私の顔を見てため息され
静かに問う。
貴方は、何でできていますか?
私は、光だ!と答える。
師匠は静かに仰る。
もう一度瞑想してきて解ったら来てくださいと
。
私は無我…私は無我…。
何も考えられない。何も考えられない。
そうか!何も考えられない!私は、名前を付けた瞬間に私が作りだした相を作る。
無我とば、名前がつく前のあってあるもの。…。
師匠に静かに言う。解りましたと。
師匠は静かに問う。
戦争を良いものですか?悪いものですか?
私は、答える。何も考えられない。
師匠は静かに問う。
ひとに親切にすることは良いものですか?悪いものですか?
私は、答える。何も考えられない。
師匠は、ため息され問う。
貴方は、なんでできていますか?
私は、ため息に影響されず答えた。
何も考えられない。
師匠は、静かに仰られた。
貴方は今無我を体験していますと。
師匠ば仰られる。
悟りとは、物凄いことが出来るようになることでもなく、特別な人だけがなれるものでもなく…全てのひとが持っているものなのだ。
これが先人が言われた無我の境地なのです。