4-シャマター瞑想法について 入門編 | 華流パラダイス D様応援団

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せんえつながらディーンフジオカ様とダライ・ラマ法王様のダブル【D】様をヨイショさせていただきます(汗滝)

はやく悟りを開く方法?

法王様に聞いてみました。





この続きです。




そして、この状態に、数分、ニ〜三分の間、留まります。

この数分の状態のあと、次の段階に進みます。


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​◎前行

  1. なるべく前後左右に片寄らない姿勢
  2. 手は仏像と同じ形にして丹田におく
  3. 深呼吸によって体内の廃棄ガスを捨てるイメージを行う
  4. 仏、菩薩などの光を自分の胸の中に収めるイメージを行う



この修行を繰り返す必要はありません。

先ほど説明した姿勢、汚れた気を外に出す、そして、仏を観想(イメージ)する、

この段階は、禅の修行の時、毎回行わなければいけません。

その上、どのようなの修行であっても、この三つの段階は必要です。

これらを合わせて禅の修行をするときの前段階:『前行』と呼びます。

『前行』とは、いかなる禅の修行でも、禅定を行う時は必ず行わなければいけない、必修科目なのです。

これはチベット伝統仏教の方法です。

さっき説明した段階は、いかなる禅の修行であっても必ず行います。




『菩提心』は大乗仏教の【魂】


それから、さらに続くのは『菩提心』を発するという事です。

それでは『菩提心』について、簡単に説明しましょう。

それは、チベット仏教、中国伝来の仏教、

それから、日本の仏教、これら、すべてにおいて、日本の仏教の中の浄土宗においても、さらには禅宗、密教などでも、

すべての宗派、大乗仏教において、必要なものなのです。


そして大乗仏教において必要なのが『菩提心』なのです。『菩提心』がなければ大乗仏教とは言えません。

大乗なのか?大乗でないのか?その境目は『菩提心』にあります。


この『菩提心』を発することについてお話ししましょう。

では、『菩提心』をどのようにすれば発する事が出来るのか? 私たちは、今、ここで坐禅を組んで禅定をしようとしていますが、この禅定の目的はなんなのか?ちょっとお考えください。

今、なぜ?禅の修行をしようとしているのでしょうか?目的は何でしょうか?

この人生の中で、なぜ?禅の修行をするのでしょうか?自分の健康、長寿のためですか?お金持ちになりたい?仕事がうまくいくようにですか? そのような、自分だけの目先の小さな事に、本当に、そんな小さい小さい事だけが目的でしょうか?



もし、そうなら、自分に言い聞かせなければいけません。

そんな目的は小さすぎます。あまりにも利己的です。

だから、目標は、より高くしなければなりません。自分自身に、よく言い聞かせましょう。

あるいは、自分の目的が【解脱】の人たち、それは、小乗仏教の目的です。それだけでは、利己的です、まだ、低いと言えます。まだ、不十分です。そのように自分に言い聞かせなければいけません。

最後に『菩提心』とは何でしょうか?

われわれの修行の目的、坐禅を組んで、学び、読経を続けるのは、世界中のすべての人々を助けるためです。

世界中のすべての人々を手助けるためには、

私たちの力は、あまりにも小さすぎます。

ですから、ここで研鑽し、仏となれば、すべての人々の手助けができる。私たちは、この事を常に自分に言い聞かせ、これを『菩提心』とします。


この決意は、いついかなる時でも思い起こし、自分に言い聞かせなければいけません。

私が修行をするのは、自分のためではなく、金儲けのためでも、出世のためでもなく、すべての人々のために、この世のすべての人々のため、すべての人々の解脱のために、私はこの修行を積むのです。

これは、毎回毎回、自分自身に言い聞かせ、自分を奮い起こさなければいけません。

この『菩提心』こそが大乗仏教の【魂】なのです。


この『菩提心』は、いつ、いかなる事情があろうとも、すべてにおいて必要な、すべての基礎です。


それでは、この『菩提心』を発した後は、私たちは、この禅の修行の主体である、最も根幹をなす、核心的部分に入って行きます。


ああ、私たちの持ち時間もいっぱいになったので、先に一休みして、休憩の後、再び、話の核心について続きの説明をいたしましょう。

(一同、拍手と合掌)


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私たちは、これから最後の説明に入ります。

皆さんに禅の修行についての、もっとも具体的な方法についてお話ししましょう。


禅の修行法については大乗仏教、小乗仏教、あるいは、密教や顕教など、いろいろな方法がありますが、

太極的に言うと九個の方法があると言えるでしょう。

九個の方法なので「九住心」と呼ばれています。

これを、これから私たちが坐禅をする際に使用します。

そして、この「九住心」すべてが必要なわけではありません。今、この段階では前面の三つがあれば、平素、問題はありません。

前面の三つの具体的な方法こそが、もっとも具体的な方法を示しています。


なぜならば、私たち、禅の初心者にとって、前面の三つがもっとも重要なキーポイントとなります。




​◎安住心


前面の三つ 最初はどんな感じかと言うと、まず第一番目、私たちが坐禅をする際に、私たちの心を一つの目標にそそぐ、心を一点に集中させる時、そこから、動かないようにしている時、心を一つの目標に「安住」させ、安静にする時、あっち、こっちと、想いを巡らさないようにする、たった一つの目標に心を注いでいる、そして心がだんだんと平静になって行く時、これが一番目の方法です。


では、目標とは何でしょうか?とてもたくさんの違う目標があっても良いのです。では、今日、皆さんに、あるものを紹介したいと思います。

この一つの目標というのは、顕教でも、密教でも、すべての大乗仏教でも、説かれている事です。

とても良い目標の一つです。

そして、一つの目標とは、私たちの目の前に

お釈迦様の像を置く事です。

そして、その大きさは、大きくてもヒジから指先までの長さくらいのサイズ、

小さくても、手の指4本分くらいのもの。

このくらいのサイズが良いのです。


それは、タンカ(チベットの仏画)、写真、仏像が良いのです。


↓タンカ:チベットの仏画



そして、自分のヒジから指先の長さ以上の大きなものになってしまうと、私たちの座禅に使うには、大き過ぎて、適格でないと言えるでしょう。

なぜ使えない、適さないかと言うと、もしも仏像が大きすぎると、私たちは大きな面積を見なければなりません。そういう事では、注意力が散漫になってしまいます。

そして、また、小さすぎると、四本指分より小さいサイズですと、小さすぎて、良く見えませんね。

そのようにして選んだ仏像を私たちの目の前に置きます。普通に視線を向けて見られる高さに、高すぎず、低すぎない高さに、普通に平行に見られる高さに、前方に置きます。

そして、その仏像の前に、簡単な、お供え物、花、水、お香、などを簡単に置くのも良いでしょう。

↓ダライ・ラマ法王執務室の大小各種の仏像、仏画


これらを準備した後、私たちはお釈迦様の像の前に姿勢を整えて座ります。

それから、私たちの目は、仏様の胸の真ん中あたり、心臓の辺りを見つめます。

そして、なるべく、目を動かないようにします。なるべく瞬きもしないようにします。

しかし、目を動かない、瞬きをしない、と、言っても、無理なので、そんな無理は言いません。なるべく努める、という程度で良いでしょう。なるべくで良いのです。

そして、両目で仏様の胸の真ん中を見つめると同時に、私たちの心、意識も、その仏像の胸の真ん中に注ぎ込みます。

仏様の胸の真ん中に心、意識も注ぎ込むのです。

私たちの二つの目、その心、私たちの意識、この三つのものを仏様の胸に集中し、ロックするのです。

そして、仏様の胸から動かさないようにします。動かないようにして、ひたすら仏像の胸に集中させます。

そして、私たちの意識は仏様の胸を見る以外をのぞいて、その他の一切、過ぎたことも思い起こさない、さらに、いかなる、未来のことも考えない、すべての思考を停止させます。

そして、現在、起きている心、今、起きている心も、例えば、午前にお話ししたような、そんな事で影響されないように、邪魔されないように、心を沈澱させていくのです。

沈殿の方法は、すなわち、何も思わないようにすることです。

思い起こさない。思わない。すべての念頭にあることを手放すことです。このようにしていると、心は、心そのものの力で、だんだんと沈殿して行くのです。

この時、私たちの心、先ほどの仏様の胸の真ん中に注ぎ込んでいるのです。

そして、自分の心の中にある、そのすべての、念頭に、あるものを手放して行くのです。

そうしていると、感じ始めるのは、とても平穏な静かな気持ち、とてもとても平穏な静かな気持ちになって行きます。


この時、私たちの心は、とてもとても平穏で静かな状態になります。

ある時など、私たちが感じるのは、一つの絶対的に静止した、静止した世界の感じです。

静止した世界、まったく動かない世界。


実際には、そんな絶対的に静止した世界なんて無いんですが、しかし、私たちは、そういう感覚を受けるんです。


それは、まるで、私たち自分自身が、完全にその世界の内側に溶け込んでしまったような気持ちになる事があるんです。



例えてみれば、何回か、体験したのは、とてもとても良い天気の日、私たちが浜辺に行った時に感じる気持ち。

海はまるで波さえ無く、一片の波も無いコバルトブルーだけになり、天空もコバルトブルー、下の海面もコバルトブルー、

そして私たち人間も、そのコバルトブルーに溶け込んでしまったような、そんなコバルトブルーの世界そんな感じ、本当にそんな感じになる事があるんです。

そんな時、私たち人間も、その平静な世界に溶け込んで一つになったような。

その時、私たちが感じるのは、とてもリラックスした、とても平穏な静かな状態です。

では、この状態は何でしょう?

これは、私たちの心の汚れが、すでに沈殿した、淀みが沈殿した後の水が、ほとんど透明になった時と同じなんです。

私たちの心の中のとてもたくさんの雑念が分離した後の感覚、そして自分の本質がだんだん出てくる時なんです。

この感覚は、私たちが坐禅をする時に毎回あるわけでは、ありません。

私たちの座禅が成功した時に現れるものです。

そんな時にこんな感じが現れるんです。

実際には、私たちの座禅の多くは失敗するでしょう。

ただし、気にしないで良いのです。

十回トライして、その中で二〜三回成功すれば良いのです。

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《続く》




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