【2】生死を超えて『臨死体験って予行演習できる?』 | 華流パラダイス D様応援団

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せんえつながらディーンフジオカ様とダライ・ラマ法王様のダブル【D】様をヨイショさせていただきます(汗滝)




31分もあるので数回に分けてお伝えします。




『死ぬって結局、何が起きるんですか?

〈超越生死編第一期〉


Luminous Wisdom Meditation NY

纽约慧灯禅修


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706から




【司会】

では、先生が今、おっしゃった密教の修行者にとって、良いチャンスと感じている、という事ですが、

でも、実際に修行していても

たぶん、たくさんのステップが有って

皆さん、みんな、ステップアップの良いチャンスだと感じていても、

やはり、違うスタンスの修行者には

この『死』への受け取り方や観点が

違う人もいるのではないでしょうか?


◎違うステップにいる修行者でも、同じ態度なのでしょうか?


【ケンポ先生】

密教のこの方面の修行、

それらのエンディングの段階ですが

すべての宗派、一つの宗派に限らず、

例えば、チベット仏教に関わらず

これは、すべての教えの一部分でしかないのです。

この『死に相対する時の方法』をだけを

探究することは。


とは言え、この分野を比較的熟知した者、

この訓練が比較的上手な者は

『その時』が来ても、上手に越せるわけで、

これらの者たちは、皆、問題ないのです。

正しい信念と覚悟にふさわしいところに行けるでしょう。

反対に密教を修行していて、さまざまな分野の知識を身につけ、灌頂を受けるほど資格もある者が、この種類の訓練をしていない場合、『死』に対面した時にうまくいくか?その保証はありません。

この訓練は、一種独特な、この方面だけの、ちょっと特殊な訓練なんですよ。


【司会】

はい、私、今、聴いていて、一つ小さな疑問が湧いたんですが、

ケンポ先生は、この密教の修行法は、たぶん、まだ、たくさんの方法があり、

さらに、顕教(大乗仏教)の修行者もなどなどと、

お聴きしたのですが、

では、それら顕教の修行者たちは、

どのような意味合いで『死』に相対するのでしょうか?

やはり『解脱』のチャンスなのでしょうか?



◎顕教(大乗仏教)の修行者は、どのように『死』に相対するのでしょうか?



【ケンポ先生】

はい、その通りです。しかし顕教(大乗仏教)には、密教のように、たった一つ、この『死』と相対するだけの考究はないのです。

また、『死』というテーマ専門の訓練もありません。

ただ、いわゆる『菩提心(真に仏になろう、と切に願う)』というテーマです。臨終の時、どれだけ、『菩提心』を保てるか?しっかり準備しなければなりません。

『死ぬ』時に、どのようにそれに相対するか?また、転生する時にどれだけ準備できるか?などなど

しかし、これらに具体的に、どうするべきか?という方策は練られていません。

例えば、私が、さっき話した『五力(修心七要から発生すると言われる)』もまた、このような時の方法です。

ただ、密教ほど、細かく語られていません。

また、密教ほど細かい具体的な訓練も対策もありません。

ただ、有る事は有るのですが、各々、個人的に『死』に相対する方法を考えるという事です。 

【司会】

わかりました。ただ修行するだけなんですね。

ただ、『死』に対する恐怖を和らげるための、いくつかの方法、と言った感じですか?




◎『死』に対して、修行が何の意味をもつのでしょうか?


【ケンポ先生】

はいはい、どの修行にしても、たとえば、念仏を唱える宗派、浄土宗にしても、仏教の宗派としては、比較的簡単な宗派。

念仏を唱えるのが、とても上手な人たち、彼らも、また、『死』という事について、何も恐れなど無いのです。

たから、どこの宗派にしても、とにかく、上達すること、熟練することです。

そうすれば、『死』というものに対する恐怖は、みな消えて行くものです。


【司会】

ありがとうございます。でも、実際、多くの方々にとっては、『死』という事の印象は、

『死んだ。一瞬ですべての終わりだ、もう、続きは無いんだ。お終いなんだ。』

でも、今、先生に聴いたお話では、実際に死ぬという事は、過程の一つであって、そこでは、とても多くの事が発生していく。

ですから、先生にお願いしたいのは、今日はこの場所をお借りして、皆さんに、『死』という事について、発生する一連の現象を

いったい、どんな現象が起きるのか?どんな事になるのか?どんなステップがあるのか?

是非とも、教えていただきたいのです。



◎死んだ時、何が発生するのでしょうか?


【ケンポ先生】

あ〜、『死ぬ』という事と、私たちの深い睡眠、この二つは、その過程は完全に同じなんです。

たった一つ違うのは、その『深さ』だけなんです。

『過程』については同じ、完全に同じなんです。

例えば、私たち、毎日のように深い眠りにつきますよね。この現実の生活から、深い眠りに入り、現実の生活から、そして、再び、深い眠りに入り、そして、眠りの途中、再び、深い眠りに入り、そこから、夢を見始め、

そして、再び、この現実の生活に戻る。

ですから、この三つのステップが有りますね。第一のステップは深い睡眠、第二のステップは睡眠から出てくる夢を見るという事、第三は、その夢の中から、再び、この現実の生活に戻って来る事。

つまりは、この三つのステップです。

ては、この三つのステップの途中で、夢を見るという事を除けば、夢の部分以外、

深い睡眠はどんな様子か?私たち、みんな知ってる人はいないですよね。

では、この過程、この一つのステップ、

例えば、人は、どうやって現実の生活から、

頭脳は明晰的、目も物を見る事ができる、耳も聞く事ができる、この状況下からどうやって入るのか? 見る事もできず、聞く事もできない状態に、どうやって、この状態に入るのでしょうか?

これは、一つの、この一つのサイクルの途中、ただ、私たち一般の人間には、みんな、わからない事です。


【司会】

見えないんですね。


【ケンポ先生】

これは、これだと、察知できないでしょう。

さらに、もう一つ、その過程で、さらに夢を見始めますよね。じゃあ、この、一つのサイクルの中で、これもまた、私たちには、わからない事ですよね。これって、いったいなんでしょう? 結局、何が発生しているんでしょう? これもわかりませんね。

そして、さらに、夢から覚めて、また、戻って来る。この中間にも、さらに一つのステップが有ります。それらの三つのステップは、私たち普通の人間にとっては、すべて理解できない、あまりにも不思議なことですね。

では、なぜ、この三つのステップと、私たちの『死』が、各々、一人一人の『死』が、そっくりなのか?

例えば、人が死ぬ時、まず先に、昏睡状態に入ります。この昏睡状態の途中で、もしかすると、数時間、あるいは、一日、二日、

それから、覚めて、覚めてから、これが仏教で言う『中陰』で、その時の体は『中陰身(幽体、霊体)』と呼ばれ、

そして『中陰身(幽体、霊体)』の期間は、ふつうは、七・七・四十九日

この四十九日が過ぎると、その後、人は転生して行きます。

その三つのステップと私たちの、例えば、『死ぬ』時の昏睡状態と深い眠りとは、同じです。そして、その深い眠りから夢が始まる事と、死んだ後、昏睡状態から覚めて来る事、『中陰身(幽体、霊体)』になるステップも同じです。そして『中陰身』が再び転生する事、これも、また、私たちが夢から帰ってきて、再び現実生活に戻るのと同じです。

この三つのステップは、みんな同じです。

ただ、私たちが夢を見る事も、なぜか、この過程で出現します。

私たちにわかるのは深い眠りと、そこで夢を見始め、そこから、再び戻って来る事。

しかし、この中間、どうやって入ったか?どうして、切り替わったのか?このステップから次のステップへと?これは、誰もが、まったく理解し難い点です。

そういう事なので、チベット仏教では、密教の中では、その中の秘密の一つを発見しました。

この二つの現象は相似形だ。道理は同じだ。

だから私たちは、この深い眠りと夢、そこから覚めて戻って来る、この三つのステップを

『模擬臨死体験(死の予行演習)』と呼び


【司会】

『模擬臨死体験(死の予行演習)』


【ケンポ先生】

はい、『模擬臨死体験(死の予行演習)』を通して、この方法を考え訓練すれば、

死んだ時の訓練、夢の中で、深い眠り、夢を見る、そこから戻って来る、

この三つのステップですよ。もし、あなたも、ちゃんと訓練すれば、やがて、時が経ち、あなたも死ぬ時が来れば、これは、同じ道理ですから、あなたも、何処をどうしてポイントさえ掴んでいれば、これは、もう夢の中で充分に学べる事なんです。



1440まで


《続く》



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