2000年のコンテストでは私の他に数人の日本人選手が出場し、全員の集合した写真がベニスのゴールドジムで撮影され、それはアイアンマンの表紙を飾った。あれだけ多くの日本人選手が入賞したNPCコンテストは、おそらくこの時が最初にして最後だろう。
滞在中、暇つぶしにと、マッスルマグという雑誌を購入した。そこには有り得ないような形とバルクの腕を持ったビルダーが載っていた。名前はグレッグ・バレンチノ。サイズを測ったら、多分70cmくらいはあるのではないか。
しかし筋肉の質感はなく、明らかにニセモノの膨らみ方だった。
ジムでは数人のプロビルダーを目にした。雑誌では目にすることのない、彼らが本当にリラックスして座り、休んでいるところを見ることができた。
知ってはいたものの、本当に驚いた。何なのだ、あの半球形に膨らんだ腹は。
以来、私のプロビルダーに対する憧憬は、徐々に失われていくことになる。求めていたものとは違う現実を目の当たりにし、しかしそれまでずっと目指していたものを簡単に諦めるわけにも行かず、忸怩たる思いを抱えながらトレーニングを続ける毎日だった。
ちょうど時を同じくして、山岸君がプロに転向した。まだまだ負けられぬ、私もプロになろうという気持ちと、もう後進に道を譲っても良いではないかという気持ちが相克し、当時流行っていたボディビル掲示板では、「そろそろ健康管理のトレーニングにします」と自嘲気味に発言することもあった。
仕事も順調にいき、収入も増えてきた。当然ハングリー精神は減ってきたし、何かあったときに失うものも大きくなった。
それまでは「自分のトレーニング>仕事」だったのが、徐々に「仕事>自分のトレーニング」となってくる。本来ならば、そうなることで身体のレベルは低下してしまうはずだ。
しかし仕事としてのパーソナルトレーニングを行っているうちに、思わぬ発見をすることができたのである。それまでも薄々感づいてはいたことが、パーソナルによるデータが集まるうちに、これは確信を持って世に送り出すことができる、そう言えるトレーニング理論が完成した。
それが「Y-Method 101」である。
滞在中、暇つぶしにと、マッスルマグという雑誌を購入した。そこには有り得ないような形とバルクの腕を持ったビルダーが載っていた。名前はグレッグ・バレンチノ。サイズを測ったら、多分70cmくらいはあるのではないか。
しかし筋肉の質感はなく、明らかにニセモノの膨らみ方だった。
ジムでは数人のプロビルダーを目にした。雑誌では目にすることのない、彼らが本当にリラックスして座り、休んでいるところを見ることができた。
知ってはいたものの、本当に驚いた。何なのだ、あの半球形に膨らんだ腹は。
以来、私のプロビルダーに対する憧憬は、徐々に失われていくことになる。求めていたものとは違う現実を目の当たりにし、しかしそれまでずっと目指していたものを簡単に諦めるわけにも行かず、忸怩たる思いを抱えながらトレーニングを続ける毎日だった。
ちょうど時を同じくして、山岸君がプロに転向した。まだまだ負けられぬ、私もプロになろうという気持ちと、もう後進に道を譲っても良いではないかという気持ちが相克し、当時流行っていたボディビル掲示板では、「そろそろ健康管理のトレーニングにします」と自嘲気味に発言することもあった。
仕事も順調にいき、収入も増えてきた。当然ハングリー精神は減ってきたし、何かあったときに失うものも大きくなった。
それまでは「自分のトレーニング>仕事」だったのが、徐々に「仕事>自分のトレーニング」となってくる。本来ならば、そうなることで身体のレベルは低下してしまうはずだ。
しかし仕事としてのパーソナルトレーニングを行っているうちに、思わぬ発見をすることができたのである。それまでも薄々感づいてはいたことが、パーソナルによるデータが集まるうちに、これは確信を持って世に送り出すことができる、そう言えるトレーニング理論が完成した。
それが「Y-Method 101」である。