大学1年、19歳の夏。ミスター東京ジュニアの部に出ることにした。初めてのコンテストは不安だったが、トレーニングプラザ代々木からは、私の一つ先輩の米山さんも出場される。何かわからないことがあれば、聞けば良いだろう。

最初の難関は、ビルパン(ボディビルダーの履くパンツ)である。今はネットでもショップでも買えるが、当時はみんなどうしていたんだろう?
わからないので、前年にジュニアの部に出た坂本さんという先輩に聞いたところ、「水着でもいいんだよ。オムというメーカーがお勧め」とのことだったので、一番安いオムの水着を買って、それで出た。色は赤だったと思う。

次の難関は、日焼けである。当時は日焼けサロンが出来てしばらくした頃で、値段も結構高かった。安く済ませるため、できるだけJBY(直火焼き)をしようと、世田谷代田から小田急線に乗って江の島まで通ったものだ。しかし交通費を考えると、サロンで焼くのとあまり変わらなかったかもしれない。着いた途端に曇るということが多かったし。

毛を剃るのもやや難関だった。剃刀もケチって安物を使っていたので、ワキやスネに切り傷が絶えない。しかし当時は結構みんないい加減で、すね毛ボーボーで出ていた人もいたものだ。私もいい加減なほうなので、コンテスト時も少々セクシーな剃り残しがあったかと思う。

ダイエットはそれほど難しくなかった。確か75kgくらいからコンテスト時67kgまで絞ったのだが、もともと無理して食べていたので、ご飯の量を減らし、油ものを控えるだけで、当時のレベルとしてはまずまずの仕上がりにすることができた。食費が浮くので、むしろダイエットは歓迎だったような記憶がある。

しかし大変なことを忘れていた。ポージングである。まぁ周りの選手のマネをすれば、なんとかなるだろうと甘く考えていたが、コンテストの2週間くらい前になって、ジムで突然ポージングの講習会がはじまった。

はじめてポージングの練習をした人は、必ず思うはずだ。「トレーニングよりキツイ」と。特にキツかったのがバックダブルバイ。自分で見ることができないので、余計にキツイ。スプレッドやサイドポーズは私にとっては楽だった。
今は身体をひねることは禁止されているが、当時はその辺が緩かったので、私のフロントダブルバイは、かなり捻ったポージングとなった。しかし、それでかなり違う。まっすぐ取るのと、少し捻って取るのとで、こんなに違うとは。ポージングの重要性が分かった気がした。

フリーポーズも全然考えてなかったのだが、1週間ほど前になって、ジムの先輩の足立さんが教えてくれることになった。場所は横浜の天王町にあるマックスという贅沢なジム。
曲もお任せ。私はクラシックしか聞かないので、曲名が思い出せないのだが、チャーン、チャララ~ラ~ラ~、チャララーラーラー、チャララララン、チャッチャッ、チャチャッチャ・・という曲である。これで分かった人はスゴイ。midomiという鼻歌でどんな歌か探し出せるソフトを試したのだが、私が音痴なせいか、全然ヒットしない。

もう一つ心配だったのが、これはマジメな話なのだが、コンテストで舞台に立っている最中に、男としての反応が起こってしまったらどうしよー・・みたいな。
舞台裏には水着姿の女性ビルダーがいっぱいいるだろうし。

大抵の刺激に慣れてしまった今なら心配ないが、当時は縦に
W
X
Y
と書いただけでもヤバくなってしまう19歳。わからない人のために解説すると、Xはヘソである。

実は当日、少しヤバかったのだが、中学生の時にラジオで鶴光が教えてくれた「そういう時には、太腿を思いっきりつねれ」という秘技のおかげで難を逃れた。当時の私の写真には、太腿につねった跡が残っている。ウソだけど。