今のように就職が大変な時期と違い、当時はバブルが弾けはじめたばかりで、まだまだ就職はイージーモードだった。
私が選んだのは某ソフトウェア会社。ちょうど入社した年に一部上場した。そこの人事部だったので、そう悪い選択ではなかったと思う。

とりあえずそこの内定をもらったので、もう一社受けた。日本経済新聞だ。L-Hipに日経の社員の方がいらしていて、「ウチに来いよ~」と誘ってくれたのだ。でも面接で落ちた。
他にも大学のOBから、どこで調べたのか家に電話がかかってきて、いろいろな会社から誘いを受けたのだが、面倒なので全部断ってしまった。

さてソフトウェア会社は横浜の桜木町にあって、住んでいた世田谷代田から行くとなると、けっこう長距離通勤になる。しかし途中で渋谷を通ることになるため、「お、ユニコーン渋谷に行けるじゃないか」と嬉しい発見。

そして社会人として生活しつつ、ユニコーン渋谷に通い始める。

半年で辞めた。本当の理由は、その会社の人がもしかしたらこのブログを読んでいるかもしれないので書けぬ。だが毎日早起きし、スーツに革靴で満員電車というのは、それだけで私にとって無理ゲーだ。勤務中にプロテインを飲めなかったのも、大いに関係している。

昼休みには上司たちと食事に行くのだが、話題は前日のプロ野球や競馬のことばかり。こんな生活を、あと何十年も続けろというのか。

そんな状態だったが、実は入社したその年の夏、私はミスター東京に出ている。当然予選落ちだ。なぜか予選落ちしたときの写真が月刊ボディビルディングに「この人は誰でしょう」みたいなクイズで載せられたこともある。

トレーニングも食事も満足いかず、悪魔の実の効力も抜けていたので、ダメで当たり前だったのだが、なぜコンテストに出ようと思ったのか、よく覚えていない。

コンテスト1週間前には、ベンチプレスは170kgくらいにまで落ちてしまった。筋肉も落ちまくった。
当時はボディカラーが許されていたので、プロタンを塗って出たのだが、それが落ち切らず、翌日のワイシャツに茶色のシミがところどころできてしまい、それを隠すため、暑いのに上にスーツをずっと来ていたままでいた記憶がある。

で、意を決して辞めた。またスポーツクラブのバイトをしようかと思っていたところ、ユニコーンの会長から、「ウチでコーチをやらないか」と依頼され、それに飛びついた。