世界体操、団体戦は残念だったけど、個人戦は頑張ってほしいものだ。
私が体操競技を初めて見たのは(もちろんTVで)、たぶん中学生のとき。ロサンゼルスオリンピックである。一瞬で、この競技のとりこになった。
もちろん技にも感動したけれど、選手たちの筋肉隆々なカラダ!当時の私にボディビルという選択肢は無かったけれど、こういうカラダに対する憧れというのは、ジャッキー・チェンの映画とともに中学生のときに植え付けられたように思う。
ロサンゼルスオリンピックでは、具志堅選手が優勝だった。つり輪の力技が凄かったのを今でも覚えている。
でも一番感銘を受けたのは、中国の童非選手の鉄棒だった。童飛という漢字だったように記憶していたのだが、この日記を書くにあたって調べ直してみたら、童非だった。でも「飛」と記憶違いしてしまうほど、技の凄さが私に強い印象を与えたのだろう。
そして李寧選手の身体が凄かったように記憶している。こちらは覚えているとおりの漢字。やはり調べてみたところ、今では会社の会長に収まっているようだ。
もう一つ記憶違いをしていて、ロシアのベロツェルチェフ選手が圧倒的な技の正確性で憎たらしいほどの強さを発揮していたように覚えていたのだが、それはソウルオリンピックだった。
普通はあん馬で行われるトーマス旋回を床でやって、そこから回転しながら倒立に持っていったのが特に印象に残っている。
で、言いたいのは・・
世界体操の選手たちのカラダを見ても、今では何とも思わない(笑)。ジャッキー・チェンの映画を見ても、「アレ・・」って感じだ。
慌てて言い添えておくけれど、体操選手の技は本当に凄いと思う。競技を観るのも未だに大好きだ。
ただカラダについては、中学生のときの自分の目と、今の目とで、こうも違うものかと自分にビックリするくらい。
しかし一般の人が体操選手の身体を見れば、やはり「スゴイ!」と思うのだろうし、自分の目のほうが普通でなくなっているということを自覚しなければならない。
本来「目が肥えた」というのは美術品などを鑑賞する能力が向上したことを指すのであって、こういう場合には使わないんだろうな・・。「筋肉に対する感受性が鈍った」とでも言うべきか。
私が体操競技を初めて見たのは(もちろんTVで)、たぶん中学生のとき。ロサンゼルスオリンピックである。一瞬で、この競技のとりこになった。
もちろん技にも感動したけれど、選手たちの筋肉隆々なカラダ!当時の私にボディビルという選択肢は無かったけれど、こういうカラダに対する憧れというのは、ジャッキー・チェンの映画とともに中学生のときに植え付けられたように思う。
ロサンゼルスオリンピックでは、具志堅選手が優勝だった。つり輪の力技が凄かったのを今でも覚えている。
でも一番感銘を受けたのは、中国の童非選手の鉄棒だった。童飛という漢字だったように記憶していたのだが、この日記を書くにあたって調べ直してみたら、童非だった。でも「飛」と記憶違いしてしまうほど、技の凄さが私に強い印象を与えたのだろう。
そして李寧選手の身体が凄かったように記憶している。こちらは覚えているとおりの漢字。やはり調べてみたところ、今では会社の会長に収まっているようだ。
もう一つ記憶違いをしていて、ロシアのベロツェルチェフ選手が圧倒的な技の正確性で憎たらしいほどの強さを発揮していたように覚えていたのだが、それはソウルオリンピックだった。
普通はあん馬で行われるトーマス旋回を床でやって、そこから回転しながら倒立に持っていったのが特に印象に残っている。
で、言いたいのは・・
世界体操の選手たちのカラダを見ても、今では何とも思わない(笑)。ジャッキー・チェンの映画を見ても、「アレ・・」って感じだ。
慌てて言い添えておくけれど、体操選手の技は本当に凄いと思う。競技を観るのも未だに大好きだ。
ただカラダについては、中学生のときの自分の目と、今の目とで、こうも違うものかと自分にビックリするくらい。
しかし一般の人が体操選手の身体を見れば、やはり「スゴイ!」と思うのだろうし、自分の目のほうが普通でなくなっているということを自覚しなければならない。
本来「目が肥えた」というのは美術品などを鑑賞する能力が向上したことを指すのであって、こういう場合には使わないんだろうな・・。「筋肉に対する感受性が鈍った」とでも言うべきか。